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ツタンカーメン以来100年ぶりの大発見、「王家の谷」の王墓、埋葬されたトトメス2世とは
3/9(日) 16:30配信

ナショナル ジオグラフィック日本版
女王ハトシェプストの夫としても知られる、エジプト第18王朝では唯一未発見だった王墓
エジプトの「王家の谷」。ナイル川沿いに広がるネクロポリスの一部で、トトメス2世の妻であり異母姉弟であるハトシェプストの葬祭殿がある。王家の谷から西に約2.4キロの地点で、トトメス2世の墓が新たに発見された。(PHOTOGRAPH BY RAYINTS)

 久しぶりに、考古学者が古代エジプト王の墓に足を踏み入れた。壁には特徴的なヒエログリフ(象形文字)が刻まれ、天井には数千年前の天体図の痕跡が残されていた。エジプト観光・考古省は2月18日、英国とエジプトの合同考古学チームが、トトメス2世の墓を発見したと発表した。紀元前15世紀の古代王国に関する理解を覆す可能性もあるという。

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 この発見はまた、この古代文明の宝物のニュースで西洋が沸き立った19世紀〜20世紀初頭の起源から、エジプト学がどのように変化してきたかも浮き彫りにしている。

どのようにして発見されたのか
 この発見は、1922年にツタンカーメンの墓が発見されて以来、エジプトで100年ぶりに発見された王の墓というわけではない。約3000年前のファラオ(王)3人の墓が1939年と1940年にナイル川デルタの古代都市タニスの遺跡で見つかっており、2014年にもあまり知られていないアビドス王朝の小さな墓が4つ発見されている。

 しかし、「王家の谷」での発見はツタンカーメン以来だ。王家の谷はエジプト南部ルクソールの数キロ西にあり、多くの有力なファラオとその家族が砂漠の崖の墓に埋葬された。王家の谷はナイル川沿いに広がる死者の都「ネクロポリス」の一部で、そこにあった古代都市テーベは、いくつかの時代にエジプトの首都として機能し、アメン神の信仰の中心地でもあった。

 2022年10月、崖に掘られた別の墓を調査していたとき、今回の墓の入り口と通路が見つかった。当初は、王妃またはそれ以下の王族の墓だと考えられていた。

 しかし、発掘調査を指揮した英ケンブリッジ大学の考古学者ピアーズ・リザーランド氏は、それがファラオの墓であることを裏付ける2つの特徴を挙げている。王家の葬儀について記した「アムドゥアト書」のヒエログリフが刻まれた壁と、夜空を表す青い天井に黄色の星が描かれたしっくいの破片だ。

 そして、古代エジプト人が化粧品や香水、軟こうを入れていたアラバスターの「アヒルのつぼ」の破片に刻まれた文字から、ファラオがトトメス2世であることが判明した。

ファラオ、トトメス2世とは

 紀元前1493年ごろから前1479年ごろまで古代エジプトを統治したトトメス2世についてはあまり知られていない。ツタンカーメンが生まれる100年以上前のファラオだが、ツタンカーメンと同じエジプト第18王朝の王だ。

 ツタンカーメンと肩を並べるほどだった可能性もある豊富な副葬品は、数千年前に墓から持ち出された。おそらく死後500年ほどたってから、王のミイラを洪水から守るために移転、再埋葬したときだとリザーランド氏は考えている。

 王族の再埋葬は比較的よく行われていた。再埋葬されたトトメス2世のミイラは19世紀、ほかのファラオのミイラとともに、テーベ近郊で発見された。数年前、医療機器でミイラをスキャンした結果、トトメス2世は心不全で死亡したことが示唆された。

 しかし、トトメス2世が最初に埋葬された墓は、エジプト学者はその存在を確信していたものの、発見されていなかった。「第18王朝のファラオの墓で見つからないのはこれが最後でした」とリザーランド氏は述べている。

 新たに発見された墓は、王家の谷から西に2.4キロほどの地点にあり、古代のネクロポリスに関する考古学的理解の「空白を埋める」ものだ。リザーランド氏によれば、同じ場所にトトメス1世やその先代のアメンホテプ1世など、ほかのファラオが最初に埋葬された墓が存在する可能性もあるという。

トトメス2世はどのような統治者だったのか
 トトメス2世は父トトメス1世の陰に隠れていた。トトメス1世は、危機と不安定の時代を経て、古代エジプト新王国の確立に貢献した有力なファラオだ。記録によれば、トトメス2世は父によるヌビアとシリアの征服を確固たるものにするため、軍事作戦を指揮して成功を収めた。

 トトメス2世は旧約聖書の「出エジプト記」に登場する名もなきファラオではないかという説もある。紅海を渡り、モーゼとイスラエルの民を追い掛けたファラオだ。しかし、聖書の出来事が実際に起きた証拠はなく、いずれにせよ、その記述はメルエンプタハやその父ラムセス2世のような後のファラオと一致する部分が多いと米エール大学のエジプト学者ニコラス・ブラウン氏は述べている。

 トトメス2世はむしろ、有力なエジプト女王ハトシェプストの夫および異母姉弟としてよく知られているだろう。トトメス2世の死後、ハトシェプストは20年以上にわたってファラオとして統治し、トトメス2世の葬儀を取り仕切った可能性もある。

 別の王妃との間に生まれた息子トトメス3世は「トトメス大王」として知られ、おばであり継母でもあるハトシェプストの共同統治者として即位したが、後に単独で重要な王となった。

 古代エジプトの専門家は興奮している。「王家の谷で新たな発見があったと聞くと、いつもワクワクします」と米ハーバード大学のエジプト学者ピーター・デア・マヌエリアン氏は言う。「この墓は間違いなく、この時代の王族を取り巻く動きを解明するうえで、さらなる証拠をもたらしてくれるでしょう」

エジプト学の進化

 この新発見は、19世紀の「エジプトマニア」から始まったエジプト学が、その後どのように変化してきたかを示している。初期の段階では、毎週のようにファラオの墓が発見されていたが、ここ数十年はほとんど発見されていない。

 多くの考古学者は現在、古代エジプトの一般市民の生活に焦点を当てている。一方、今回発見された墓は、「200年近くにわたって発掘と調査を続けてきた後でも、エジプトにはまだ多くの素晴らしい発見が残されている」ことを示しているとブラウン氏は考えている。

 王族ではないエジプト人のミイラの研究だけでなく、すでに発見されているミイラや遺物に対して、X線コンピューター断層撮影(CT)や古代DNAの解析といった新たな科学的手法を用いることが可能になり、ときには驚くべき結果がもたらされている。

「例えば、ミイラの包帯を実際に外すことなく、その人物の生活や健康状態、死亡時の年齢を知ることができるというのは、素晴らしいことです」とブラウン氏は語る。

 このような手法はすでに、トトメス2世の墓から出土した遺物に用いられている。その結果、ファラオの名前が刻まれたつえがアフリカン・ブラックウッド(Dalbergia melanoxylon)でできていることが判明した。「ファラオのコクタン(黒檀)」とも呼ばれ、古代エジプトでは、はるか南方から輸入され、高級品に使われていた木材だ。

「これらの遺物の発見により、古代エジプト史の重要な時代の職人技と交易網がさらに明らかになりました」とブラウン氏は述べている。

(出典等)

2025-03-12 (水) 12:36:19
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