天皇弥栄(すめらぎ いやさか)  慶應義塾大学講師 竹田 恒泰

第1回 皇統保守のために

■親王殿下御誕生万歳!
 平成18年9月6日、秋篠宮妃殿下が国民待望の若宮を御出産遊ばしてから2年が経った。今思い出してもあの日の興奮はつい昨日のことのように蘇る。「日本国民としてこれほど嬉しいことはない」と思ったのは私だけではないだろう。

 日本は現存する国家の中で世界最古の歴史を持つ。その長い歴史の中で、皇統を守るために幾多の困難があったが、その度に偶然とも思える不思議な作用が働き、ことごとく乗り越えてきた。その作用を先人たちは「神風」と呼んだ。
 皇統断絶の危機が叫ばれ、男系伝承の大原則を変更する法案が上程されんとする将にその時、御懐妊の発表があり、しかも親王殿下が後誕生遊ばしたのは「神風が吹いた」としか私には思えない。皇統は守られた。
 これを機に、平成16年から本格化した皇室典範改定への動きは完全に止まった。それまで女性・女系天皇の成立を意図していた論客たちは、なりを潜めたように沈黙し、いまだに発言する者はいない。 

■平成の山口乙矢
 思い起こせば、男系維持派は命を賭けて発言していたと思う。当時「平成の山口乙矢」の出現を求める声は至る所にあり、現に火薬を満載した十トントラックで総理官邸に突入する準備を進めていた活動家もいたという。近年「暗殺すべき政治家もいなくなった」という声が聞かれるなか、そのような覚悟を決めた活動家にとって、万世一系の皇統を断絶させる小泉総理は、将に「暗殺に足る政治家」だったことになろう。

 しかし、一方の女系天皇容認派の中に、命を賭けて発言している者はいなかった。「どうせいつか男系は途絶えるから、いま途絶えさせてもよい」という彼らの主張は「この患者はもう長くはないのだから、いま殺せ」と言っているのに等しい。このような発想には情熱もなければ、日本人としての誇りもなく、極めて投げやりで無責任である。だから、女系容認派たちの主張は、命を賭けて発言していた男系維持派の言葉とは、かなりの温度差があった。
 なぜ、男系維持派は覚悟を決めた発言をしていたのか。それは、皇室典範論争は皇統保守をめぐる論争であったからである。そして、これは単なる政策論争などではなく、国体の根幹に関わる問題であり、男系維持派は日本そのものの攻防戦をしていたことになろう。 

■皇統の危機はまだ解決していない
 若宮殿下の御誕生で、若い世代におひと方、皇位継承者を得たことになる。これにより当面の皇統の危機は回避された。しかし、もし将来東宮家と秋篠宮家に次なる親王がお生まれにならない場合は、秋篠若宮殿下のその小さい肩に、皇統の運命が全て委ねられることになる。皇統の危機はまだ解決していないと見なくてはなるまい。このままでは若宮殿下が天皇に践祚あそばす時、皇族はひと方もいらっしゃらなくなることが確実と見られる。

 かつて皇位継承の危機に当たり、宮家から天皇を立てたことが二回あった。そもそも宮家は、万世一系の血のリレーの伴走者であり、宮家が1つもなくなるということは、それだけで皇統の危機である。
 若宮殿下御誕生までは「いかに皇位継承者を確保するか」が議論の主題だったが、以降は「いかに皇族を確保するか」を議論しなくてはいけなくなった。
 「神風」で事なきを得たが、次なる段階は神頼みではなく、政権が迅速かつ慎重な議論を進め、懸命な結論を導き出すことを期待する。国民はこの危機を未だ理解していない。女系天皇の議論で神社界が大きな役割を果たしたが、今後神職と神社関係者が皇室の藩屏として果たすべき役割は余りに大きい。神風は「吹く」ものではなく、「吹かせる」ものなのである。 

第2回 「女帝」とは何か

■例外なき男系継承
 これまでわが国には125代の天皇のうち八方十代の「女帝」(女性天皇)の例がある。「八方十代」というのは、譲位後に再度即位された女帝が二方いらっしゃったことによる。

 そのうち、六方八代は飛鳥時代から奈良時代にかけての200年間に集中し、その後は800年以上女帝の即位はなく、江戸時代になって二代の女帝の例を見る。女帝は、特別な事情がある場合に限ったもので、次の男系男子が即位するまでの中継ぎ役だった。
 そのため、女帝は一代限り認められるものであり、女帝の子孫が皇位に就くことはこれまで一度もない。一旦女性が皇位に就くと、生涯未亡人、もしくは未婚を貫かなければならない不文律があった。
 女帝が一代限りとされたことで、女帝の次は本来皇位に就くべき男系の男子に皇統が戻るため、また女帝自身も男系子孫であることから、皇位はこれまで例外なく歴代天皇の子孫によって継がれてきたことになる。 

■女帝は一代限りの暫定政権
 多くの女帝が出現した奈良・飛鳥時代は、まだ皇位継承の制度が整っていなかった。そのため、天皇の代替わりに混乱が生じやすく、暫定的に女性が天皇に即位することがあった。

 最初の女帝・推古天皇は欽明天皇の皇女で、敏達天皇の皇后だった。敏達天皇が崩じると、弟の用明天皇が即位するも間もなく崩御となり、続けてその弟の崇峻天皇が即位する。しかし、後継者が決まる前に崇峻天皇が暗殺されたことで、政治混乱の中、皇位継承を巡る争いを避けるため、皇太后の推古天皇が天皇に即位した。これより争いは回避され、次の世代への筋道がつけられたのである。
 「女帝は男子の継承者不在につき女性が天皇になった例」と勘違いする人が多いが、そのような例は一度もない。推古天皇の場合はむしろ逆で、皇位継承の候補者が多過ぎ、混乱を避けるために皇太后が即位した例である。二番目の女帝となった皇極・斉明天皇も、皇位継承の争いを避けるために成立した。 

■成長を待つ女帝
 三番目の女帝・持統天皇からは成立の背景が違ってくる。天武天皇の次には草壁皇子が皇位を継ぐ予定だったが、若くして亡くなったため、その子、珂瑠皇子を継承者とした。しかし珂瑠皇子は若かったため、女帝・持統天皇が成立し孫の成長を待った。

 また、四番目の元明天皇は子の成長を待つため、五番目の元正天皇と六番目の孝謙・称徳天皇はそれぞれ弟の成長を待つために女帝となった例である。
 一方、江戸期に859年ぶりに成立した七番目の女帝・明正天皇はまた違った成立背景を持つ。朝廷と幕府間の政治的摩擦の結果成立した女帝だった。後水尾天皇は紫衣事件などで幕府と深く対立し、天皇は不快感をあらわに退位し、幕府への抗議の意味を込めて、まだ7歳の内親王を即位させた。八番目に最後の女帝となった後桜町天皇は、弟の桃園天皇が若くして崩じ、その皇子も幼少であったために、伯母が甥の成長を待つ形で即位した例である。 

■男系継承は世界の常識
 ではなぜ天皇は男性であることが原則なのだろうか。これにはいくつか理由があるが、宗教上の理由が一番分かりやすい。

 日本の天皇は「祭り主」であり、権威的存在であるため、他国の「王」とは性質が全く異なる。世界には宗教的権威はいくつか認められるが、キリスト教でも歴代のローマ法皇と枢機卿は全て男性であり、チベット・ラマ教のダライラマ、ユダヤ教のラビ、イスラム教の神職なども男性でなくてはならず、その地位は多くは男性によって継承される。このように、宗教的権威を男性に限り、男系によって継承する考え方は、世界の宗教の常識であり、特別変わった考え方ではない。 

第3回 なぜ男系継承でなくてはならないか

■もはや理由などどうでもよい
 「天皇の皇位がなぜ男系によって継承されてきたか」。これに答えるのは容易ではない。そもそも、人々の経験と英知に基づいて成長してきたものは、その存在理由を言語で説明することはできない。なぜなら、特定の理論に基づいて成立したのではないからだ。天皇そのものが理屈で説明できないように、その血統の原理も理屈で説明することはできないのである。

 だが、理論よりも前に、存在する事実がある。男系継承の原理は古から変更されることなく、現在まで貫徹されてきた。これを重く捉えなくてはいけない。例えば、現存する世界最古の木造建築である法隆寺は、その学問的価値の内容にかかわらず、最古故にこれを簡単に立て替えてはいけない。同様に、天皇は男系により継承されてきた世界最古の血統であり、これを断絶させることはできない。
 もはや理由などどうでもよいのである。特定の目的のために作られたものよりも、深く、複雑な存在理由が秘められていると考えなくてはいけない。 

■男系継承とは家の領域の問題
 男系継承は男女の性別の問題と勘違いされるが、そうではない。いうなれば家の領域の問題であり、男女は関係ない。男系継承とは、「天皇家の方に天皇になってもらう」ことに尽き、それは天皇家以外の人が天皇になるのを拒否することに他ならない。

 民間であっても、息子の子に家を継がせるのが自然で、娘の子たる外孫に継がせるのは不自然である。愛子内親王殿下の即位までは歴史が許すが、たとえば田中さんとご結婚あそばしたなら、その子は田中君であって、天皇家に属する人ではない。もし田中君が即位すれば、父系を辿っても歴代天皇に行きつくことのない、原理の異なる天皇が成立する。
 民間ならば、継承者不在でも、外孫を養子にとって家を継がせることもあるだろう。しかし、天皇はそれをやってはいけない。継承者がいなくなる度に養子を取るようなことがあれば、伝統的な血統の原理に基づかない、天皇が成立することになり、それは既に天皇ではないのである。 

■男系継承は男性を締め出す原理
 また、男系継承は女性蔑視の制度だという人がいる。これも大きな間違いだ。歴史的に天皇は民間から幾多の嫁を迎えてきた。近代以降でも明治天皇・大正天皇・今上天皇の后はいずれも民間出身であらせられる。だが、皇室が民間の男性を皇族にしたことは、かつて只の一度の例もない。男系継承とは、女性を締め出す制度ではなく、むしろ男性を締め出す制度なのである。民間の女性は皇族との結婚で皇族となる可能性があるが、民間の男性が皇族になる可能性はない。

 ところで、「愛子さまが天皇になれないのは可哀そう」という主張もある。皇位の継承は、その星に生まれた者の責務なのであって、あたかも甘い汁を吸うかのような権利などでは毛頭ない。
 皇后陛下が失語症になられたこともあった。しかし、見事に克服あそばし、立派に皇后としてのお役割を全うされていらっしゃるが、皇后だけでも大変なお役割であって、一人の女性が天皇と皇后の両方のお役割を担われるとしたら、それは無理というべきだろう。 

■国体の継承は現代日本人の責務
 男系継承の原理は簡単に言語で説明できるものではないが、この原理を守ってきた日本が、世界で最も長く王朝を維持し現在に至ることは事実だ。皇室はだてに二千年以上も続いてきたわけではない。歴史的な皇室制度の完成度は高く、その原理を変更するには余程慎重になるべきである。今を生きる日本人は、先祖から国体を預かり、子孫に受け継ぐ義務がある。何でも好き勝手に変えてよいということはない。
第4回 天皇を政治利用する政治家と官僚

■皇室を弄ぶ政治家たち
 皇室典範の議論で政治家と官僚が公に「陛下の御意思」を語る場面が見られた。政治に「陛下の御意思」を利用するとは、その真偽に関わらず厳しく非難されなくてはならない。小泉総理は平成18年2月3日、記者団が「皇室典範改正で皇室の意向は聞いているのか」と質問したのに対し、「有識者会議で聞いておられると思う。直接ではなくても。賛成、反対を踏まえての結論だ」と発言し、法案は皇室の意向を踏まえたものとの認識を示した。

 また「週刊新潮」平成18年2月9日号によると、武部勤幹事長は1月17日夜に行なわれた、全国都道府県議会議長会と自民党三役との懇親会で「(皇室典範改定)法案は今国会で絶対に成立させなくてはならない。これは陛下のご意志だ」と発言したという。しかも、有識者会議を統括する責任者である細田博之国対委員長も「女系は陛下の御意思」と吹聴して回り、議員たちに圧力をかけていたといわれる。
 それだけではない。これは私が安倍元総理から直接聞いた話だが、皇室典範議論の喧しい官房長官時代、有識者会議の運営に関わる責任ある官僚から「陛下が秋篠宮に第三子を希望されたところ、秋篠宮がこれをお断りになった」という情報がもたらされた。しかし、その直後に秋篠宮妃御懐妊の報道があったという。安倍氏はその官僚を呼び出して「もし君の情報を信じて法案を上程していたら、どう責任が取れるのか」と強く叱ったようだが、それは当然だ。総理・幹事長・国対委員長・官僚が揃って「陛下の御意思」を振り翳したのであり、皇室への政治利用は確信的であろう。 

■捏造された論旨
 では、果たして「陛下の御意思」は確かなのか。もしこれが捏造なら大変な問題である。官房長官ですら個別に天皇の謁を賜ることは困難であることから鑑みるに、与党の幹事長・国対委員長、まして実務を担当する官僚が直接大御心を確かめる手段は無い。

 皇族として唯一皇室典範問題でご発言遊ばされた寛仁親王殿下は次のようにお書きになっていらっしゃる。「(陛下が)具体的に、女系を容認せよ、とか、長子優先とか、そうおっしゃる可能性は、間違ってもありません。陛下はそういうことをおっしゃる立場にありませんし、なにより非常に真面目なご性格からしても、そのような不規則発言をなさることはあり得ないでしょう。」(文藝春秋平成18年2月号)
 また、ある神社関係者が有識者会議メンバーの一人であるY氏から次のような話を直接聞いたという。それによると、Y氏が別件で陛下の謁を賜った時、お人払いをお願いし内々に「皇室典範に関する陛下の真意をお伺いしたい」と申し上げると、陛下は一言も御意見を示されず、ただ「国民が決めたことに従います」ということを仰せになったという。しかも、有識者会議がいよいよに詰まった頃、Y氏が再び参内する機会があり、同じ事を申し上げると、やはり同じように陛下は御意見をお示しにならなかったというのだ。 

■綸言汗の如し
 政治に直接お関わりにならない陛下のお振る舞いこそ、立憲君主国における天皇の在り方ではなかろうか。「綸言汗の如し」という。昭和天皇は生涯を通じて、立憲君主国における天皇の在り方を神経質なまでに貫徹遊ばされた。天皇陛下は御即位の大礼に当たり先帝の御姿を継承されることを宣言遊ばされた。陛下が法案について具体的に御意見を発せられないことは、至極納得のいくものである。

 政治家と官僚が揃って口にした「女系天皇は陛下の御意思」というのは、全くの出鱈目だったのである。まして「天皇の御意思」はその真偽に関わらず、軽々しく政治に利用すべきではない。 

第5回 皇位継承問題と大御心

■皇位継承問題と大御心
 よく「大御心(おおみごころ/天皇の意思)」という言葉が間違って使われているが、大御心とは皇祖皇宗の遺訓に他ならず、今上天皇の個人的な意思のことではない。

 葦津珍彦先生は「天皇の地位が世襲的なものである以上、天皇の意思と云ふのも世襲的なものでなければ意味をなさない」と仰った。また先生によると、大御心は天皇の個人の意思よりも、遥かに高い所にあり、また大御心とはすなわち日本民族の一般意思であって、時代によって変化する民衆の多数意思よりも貴いという。
 したがって、もし天皇がそのような大御心に反する事を仰せになったなら、これは「聞いてはいけない」ということになる。幕末に孝明天皇から第二次征長戦争の勅許が降りた時、大久保利通が西郷隆盛に宛てた書簡には「非義の勅命は勅命に非ず」と書かれていたことはよく知られている。本来勅命は天下万民が承知してこそ勅命なのであり、この勅命には大義が無いから勅命とは言えないので、自分はこれに従わないというのだ。
 この考え方によれば、もし天皇の個人的な御意思と大御心が食い違った場合には、当然大御心を優先させなくてはならないのである。 

■皇位継承の大御心は如何に
 したがって、大御心とは今上天皇の個人的な意思とは直接関係がないため、必ずしも玉体から発せられる必要はない。よって、皇位継承の問題について大御心を知りたければ、陛下から御言葉を頂戴するまでもなく、日本書紀から続く我が国の正史を読み込めばよい。そこに先人たちが繰り返してきた皇位継承の不変の原理が記されている。そして、その原理こそが大御心なのである。

 皇位継承が万世一系の男系によって継承されてきたことは歴史の事実であり、この不変の原理に反する女系天皇容認などの考えは、すなわち大御心に反すると考えなくてはならない。
 にも関わらず政治家や官僚、そして言論人までもが自由に天皇の大御心を語り、皇祖皇宗の遺訓に反する論を正当たらしめようとすることは、厳に慎まなくてはいけない。 

■陛下に政治発言を求めてはいけない
 総じて、天皇陛下に皇位継承の問題についてお考えを伺うことは、全く意味が無いばかりか、大きな問題を孕んでいる。

 私は天皇陛下が皇祖皇宗の遺訓に反するような御考えをお持ちになることはないと考えるが、個別の法案についてご意見を表明されることは、憲法の原理からして相応しくなく、またもし反対のご意見だった場合は、大御心に反することになるので、非義の勅命の理論を展開しなくてはいけないことになる。
 したがって、陛下がいずれのお考えであるにしても問題が生じるので、政治家が易々と陛下に政治発言を求めるべきではなく、まして根拠もなく「陛下の御意思」を語るなど言語道断である。 

■御聖断は国体を守る最終局面
 しかしながら、もし国民が皇統の問題で大御心に反する法案を可決する運びになった場合、それを踏みとどまらせるのは陛下お一人しかいらっしゃらない。

 我が国の憲政史上において、天皇の発言が政治を決定し、もしくは重大な影響を与えたのは、二・二六事件の鎮圧、白紙還元の御諚、終戦の御聖断の三例に限られるが、いずれも我が国が滅亡の淵に立たされた時に、日本を救う方向に機能した。
 だが、陛下に御聖断を仰ぐ事態は、極めて異常な事態であり、国体や皇統の危機でなければ発動されるべきではなかろう。勿論現行憲法で天皇の御聖断が国策を決する理論は存在しない。だが、天皇が国会で可決した法律の公布を拒否されることによって、法律が効果を持つことを防ぐことは、理論上可能である。
 国民はそのようなことで宸襟を悩ますことのないように、皇祖皇宗の遺訓たる大御心を読み違えないようにしなくてはいけない。 

第6回 「すめらぎ」の意味について

■「天皇」と書いて何とよむ?
 小欄は「天皇弥栄」という名称を掲げている。なぜ「天皇」と書いて「すめらぎ」と読むか、それには理由がある。今回は「すめらぎ」の意味について考えてみたい。

 本来ならば「天皇」は「てんのう」と読むのが一般的であり、また訓読みしても「すめらみこと」と読む場合が多いため、むしろ「すめらぎ」はあまり耳にしない人も多いことだろう。しかし「天皇弥栄」という形で使用する場合、「天皇」は「すめらみこと」ではなく「すめらぎ」と読むべきなのである。
 まず「てんのう」は中国の音であるため、祝詞などでは大和言葉を用い、訓読みすべきである。だが、それでも「すめらみこと」「すめろき」「すめらぎ」など、読み方は複数あり、しかも読み方によって意味が異なる。 

■「すめらみこと」か「すめらぎ」か
「すめらみこと」と読むと、特定の天皇、もしくは今上天皇を指すのに対し、「すめろき」と「すめらぎ」は、皇祖もしくは皇祖から続く皇統を意味し、古より続く皇統の連続性を含んだ文脈で用いられる。

 例えば「すめらみこと」の用例を調べると、いずれも特定の天皇か今上天皇を指す場合に限られるが、「すめろき」は八世紀後半に編纂された万葉集の福麻呂(さきまろ)歌集に「日本国(やまとのくに)は皇祖(すめろき)の神の御代より敷きませる国にし有れば」とあり、また同じ万葉集の大伴家持(おおとものやかもち)の歌に「ひさかたの天(あま)の戸開き高千穂の嶽に天降(あも)し須売呂伎(すめろき)の神の御代より」と見える他、「すめらぎ」は十九世紀の良寛歌に「すめらぎの千代万代の御代なれや花の都に言の葉もなし」と、特定の天皇ではなく、連綿と続く皇統を指す言葉として用いられている。 

■日本人が最後に護るべきもの
 三島由紀夫は生前、日本人が最後に護るべきものは、天皇ではなく、敢えて三種の神器であると言った。「すめらみこと」と「すめらぎ」の意味の違いを考えると、この言葉の重みを改めて噛みしめることができる。もし天皇の玉体と三種の神器が同時に危機に瀕し、いずれか一方しか護れない場合は、玉体ではなく三種の神器を護らなくてはならないという意味だ。

 三島の言う三種の神器とは、すなわち皇統を意味する。皇統さえ守れば、天皇は継承されるが、玉体を守るために皇統を破壊してしまったら、元も子もないという発想だろう。
 ただし、玉体と神器が同時に危機に瀕するとは極端な譬えである。「すめらぎ」を護り伝えることに、誰よりも真剣に努力あそばすのが「すめらみこと」であり、我々国民は、「すめらみこと」を護ることにより「すめらぎ」を護ってきたのである。 

■「すめらぎ」無くして日本は無し
 日本という国家が存在していることによって、我々日本国民が如何(いか)程の恩恵を受けているか、その程度は計り知れない。天皇を仰ぐ我が国の形が、他のどの国の形よりも優れているに違いなく、ゆえに一つの王朝が二千六百七十年も続いてきたのである。

 日本を滅亡させようと思っても、簡単にできはしない。核兵器が撃ち込まれようが、原発が事故を起こそうが、霞が関が火の海になろうが、日本は滅亡しない。ところが「すめらぎ」がなくなったら、それだけで日本は終わる。すなわち、「すめらぎ」が安泰であれば、我が国は安泰なのである。だから日本人が最後に護るべきは、皇祖から連綿と続く「すめらぎ」なのだ。
 日本の皇室が二千年以上続いたのは偶然ではない。それは必然であり、それなりの理由があってのことである。日本は神の国である。「千代に八千代に」と歌われる「すめらぎ」は、我々が努力を怠らない限り、必ずや神風によって護られ、未来永劫継承されるであろう。 

第7回 なぜ京都御所にはお堀がないか?

■皇室はなぜ二千年以上続いてきたか
 日本の皇室はなぜ二千年以上も続いてきたのだろう。皇室が強い軍事力を持ち、反乱分子を悉く打ちのめした結果二千年続いたのではない。むしろ歴史的に天皇は軍を持たない存在だった。

 高松宮宣仁親王殿下が生前に同妃喜久子殿下に次のようにお話になったという。
「皇族というのは国民に護ってもらっているんだから、過剰な警備なんかいらない。堀をめぐらして城壁を構えて、大々的に警護しなければならないような皇室なら、何百年も前に滅んでいるよ」(『文藝春秋』平成十年八月号)
 殿下は皇族であられるので、謙虚なお考えをお示しになったように思う。皇室は国民によって守られてきたのであれば、国民もまた皇室によって守られてきたのではあるまいか。天皇と国民は、支えあいながら長い歴史を共に歩んできたのである。 

■丸腰の京都御所が語るもの
 そのことが視覚的によく分かるのは、京都御所の佇まいである。現在の皇居は元来徳川将軍の城だが、平安時代から明治初期までの千年以上の間、機能してきた京都御所こそが本来の皇居の姿である。その京都御所にはお堀が無い。それどころか、敵の侵入を防ぐための石垣や、敵を迎え撃つための櫓、そして見張りのための天守閣など、防衛の為の施設は何も無い。しかも、御所内に兵を駐屯させる施設ですら存在しないのだ。京都御所は全くの丸腰なのである。

 京都御所は設計の段階から、敵が攻めてくることなど一切考慮されていない。全く無防備な御所に住み続けた天皇も、まさか誰かが攻め込んでくるなど想像もされなかったことだろう。民衆の蜂起に怯えるような事態も起きたことが無い。そして、京都御所の前身である平城京や藤原京、そしてそれ以前の都におかれた天皇の御所も全て同じであった。 

■天皇を殺めようとした者はいない
 もし本当に天皇を暗殺しようと思ったら、薄くて高くもない塀一枚を越えたなら、御殿は障子で区切られているだけなので、あとは紙二枚程度で玉体まで辿りつけてしまう。それにもかかわらず誰も御所を攻めなかったのは、天皇を殺そうとする者がいなかったからである。

 国内で戦争が起きることはあっても、それは武家の権力闘争のための戦争であり、王朝を倒すための戦争はこれまで一度も起きたことが無い。中国や西洋の歴史が王朝交代の歴史だったことを考えると、日本は奇蹟の歴史を歩んできたのではないか。
 もっとも、天皇や皇族が攻撃の対象となり、また皇居の周辺で戦闘が行われた例はある。だが、それらは壬申の乱や保元の乱など皇位をめぐる皇室内の抗争や、承久の変など、天皇が倒幕のために挙兵をした例、または蛤御門の変など、君側の奸を打ち払うとの大義に基づいたものに限られ、天皇を殺害し、または王朝を倒すためのものではない。 

■天皇と国民は対立関係にない
 しかし、世界史の常識では、王は軍事要塞である城に住むものである。聖書はイエス・キリストの言葉として「剣を持つ者は剣によって滅びる」(マタイの福音書、二十六章五十二節)と伝えるとおり、軍事力によって支えられる王権は、常に別の軍事力に怯えなくてはいけない構造にあるのだろう。

 また、世界の王は軍事力だけでなく、民衆の蜂起を常に警戒しなくてはいけない運命にある。現に欧州ではしばしば民衆が王朝を打倒することがあった。一歩間違えば民衆は敵になるのだ。
 日本の天皇を世界の王と同じようなものと考えたら大きな間違いを犯すことになる。日本の天皇と世界の王は成立の背景、存在意義、権力構造、民との関係など、どれを取っても根本的に異なるからだ。 

第8回 天皇と日本のモノづくり

■御召列車の運行と鉄道技術
 日本は「モノづくりの国」といわれる。これは、日本人の気質だけでなく、日本が悠久の平和を歩んできたため、日本人がモノづくりに専念することができたこと、そして何よりも、日本人が天皇を仰いできたからではなかったか。

 たとえば、日本の鉄道技術は世界の最先端を走っているといわれるが、これは天皇のお乗りになる御お 召めし列車を五秒刻みで運行させる必要性から積み上げられたものである。しかし、秒刻みで鉄道を正確に運行しているのは世界で日本しかない。
 御召列車の運行には、・御召列車と並走する列車があってはいけない、・御召列車を追い抜く列車があってはいけない、・高架で御召列車の上を通過する列車があってはいけない、という御召列車三原則があり、古くから厳格に適用されてきた。
 きつい運行ダイヤを縫うようにして設定された御召列車の運行スケジュールを消化するには、秒刻みの正確さが求められる。御召列車の存在が日本の鉄道の正確な運行と、鉄道技術の発展に大きな影響を及ぼしたことは間違いない。 

■技術の伝承を支えた式年遷宮
 伊勢の神宮の式年遷宮も、日本の技術を守るための重要な役割を果たしてきた。式年遷宮とは、二十年に一度、新宮をお建て替えして大御神にお遷りを願う祭典で、持統天皇の御代に第一回が行われて以来千三百年の伝統がある。平成二十五年に第六十二回式年遷宮が行われる予定になっている。

 式年遷宮では、御ご 正しょう宮ぐうのお建物を全てお建て替えするだけでなく、七一四種、一五七六点にも及ぶ御おん装しょう束ぞく神しん宝ぽうが新たに作られる。装束は社殿内を飾るための布帛類や、神様の衣装などで、神宝は神様がお使いになるお道具や調度品で、武具・紡績具・楽器・文具・日常具などがあり、これらは、その時代の最高の技術を有する美術工芸家が調製されることになっている。そして、式年遷宮が滞りなく続けられてきた結果、古代の職人の建築技術や工芸技術などを二千年越しで、今日まで連綿と継承してくることができたのである。 

■天皇の御存在はモノづくりの励みに
 そして、日本全国には、いつか天皇陛下に献上することを夢見て、日夜モノづくりに励んでいる人たちがいる。たとえば、県知事を通じて献上される農作物などは、農業生産者の生産意欲をどれだけ高める効果を発揮してきたか、想像に難くない。このように、天皇を仰ぐことによって、日本のモノづくりは悠久の歴史のなかで、確実に積み上げられてきたのではないか。

 ただし、拝金的な個人主義が横行する現代日本の姿を見ていると、果たして五十年後の日本が、これまでのように、世界の人々に愛されるモノづくりをする気質を保っていられるか、不安に思うことがある。今一度、モノづくりに対する日本人の気質を見つめ直すべき時期がきているのではないか。 

■モノづくりと日本の未来
 大東亜戦争で国土が焦土と化したにもかかわらず、異邦人に人類史の奇跡とまでいわしめるほどの戦後の復興を遂げ、現在日本は世界有数の経済大国の地位にある。確かに、中国をはじめとする新興国が経済力を伸ばすなか、日本の将来を憂う向きもあろう。しかし、いつの時代にもモノづくりは存在し、技術革新に終わりはない。しかも、日本の伝統が最先端の技術に活かされる場面も多く、今後日本が担うべき課題に際限はない。

 今、たとえばアメリカから買い付ける価値のある工業製品といえば、筆者にはiPadくらいしか思いつかないが、今後日本の企業は、世界中に愛される製品を次々に世に送り出していくことだろう。日本人がモノづくりに対する気質を保ち続けていれば、日本の行く末には前途洋洋たる未来が開けている。 

第9回 陵墓の調査は慎重に

■応神天皇御陵への立入許可
 平成二十三年二月二十四日、学術研究のために応神天皇御陵への立入調査が行われた。これは、日本考古学協会など考古・歴史十六学会の求めに応じて許可されたものである。だが、立入調査といっても、墳丘への立ち入りが許可されたわけではない。墳丘を巡る内堀までの立ち入りであり、採取や発掘などは許可されず、一周徒歩で観察するのみとされた。しかし、外堀より内側に学術調査の許可が出たのは、天皇陵ではこれが史上最初である。

 現在の天皇陛下は第一二五代でいらっしゃる。つまり、初代から先代まで一二四の御陵があることを意味する。天皇・皇后・皇太后のお墓を「御陵」、その他の皇族のお墓を「御墓」、両方をまとめて「陵墓」という。宮内庁が管理する陵墓の数は、全国で八九六にのぼる。なかでも、ヤマト王権の成立の謎を握る巨大前方後円墳のほとんどは、宮内庁の管理下にある。 

■平成十七年の内規見直し
 しかし、平成に入ると宮内庁が墳丘の裾を補修する工事をするようになり、学会の要望で、その際に工事個所を公開するようになった。これにより、学者が古墳の一段目のテラスまで立ち入る事例もあり、内規と実態を合わせるため、平成十七年に内規を「墳丘最下段のテラス部分までは立ち入りを認める」と改めた。学会は内規に基づき、いくつかの陵墓への立入調査の許可を求め、これまで皇后陵などへの立ち入りが行われたが、天皇陵への許可が下りたのは応神天皇陵が初めてとなった。

 学者たちは、しきりに天皇陵の墳丘上部への立ち入りを求めていくつもりのようだが、宮内庁はこれを今後も許可をすることはないという。宮内庁は古墳一段目のテラスより上の部分を、犯すべからざる聖域と考えているようだ。 

■天皇の御存在はモノづくりの励みに
 宮内庁がこれまで調査を許可してこなかったのは、陵墓の「静安と尊厳の保持」する目的があるという。一方、陵墓の調査を進めて前方後円墳の考古学研究の道を開き、古墳時代の歴史に新たな科学的見識を加えるべきだとの根強い学会の主張もある。

 たしかに、古墳時代の歴史には謎が多く、歴史に興味がある人にとって、ヤマト王権成立時の謎に迫りたい気持ちは分かる。学会側は世界最大の墓とされる仁徳天皇陵など、十ケ所の陵墓の調査の許可を宮内庁に求めてきた。調査によって、それぞれの古墳が造営された時期などがより詳細に判明する可能性があるからだ。
 ところが、それがなし崩し的になって御陵の静謐を冒すことになれば、それは度を越しているといわざるを得ない。陵墓は皇室にとって大切な先祖の「お墓」であることを忘れてはいけない。墓を大切にすることで家が栄えると考えるのは、日本人の自然な発想である。いくら学術調査とはいえ、墓を掘り返すようなことがあれば、家の繁栄は傷つけられると考えるべきだろう。発掘は破壊と等しい。民間でも墓を調査するというのは気分のよいものではないはずである。 

■御陵を大切になさる陛下のお姿
 エジプトのピラミッドや中国の兵馬俑などの王の墓のように、天皇陵をも発掘の対象にすべきだとの意見もある。しかし、エジプトや中国の場合は既に滅亡した王朝の墓だが、天皇陵は現存する王朝が守るもので、祭祀の場でもあるから、全く背景が異なる。日本は王朝の交替を経験したことがなく、現在の天皇陛下は、歴代天皇の血の継承者でいらっしゃる。

 まして発掘までもが許される事態となれば、御陵の尊厳は完全に損ねられる。御陵の調査については慎重であるべきだと私は思う。歴代の天皇が、陵墓をいかに大切にされたか、特に昭和天皇と今上天皇が、陵墓を大切になさるお姿を拝すると、「調査を行うべき」とは、軽率にいえない。 

第10回 古事記を取り戻せば日本は輝く

■トインビーの予言
 「十二、十三才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」

 これは、二十世紀を代表する歴史学者であるアーノルド・J・トインビー(一八八九―一九七五)の言葉である。民族の神話を学ぶことは、民族存立の要件であるというこの言葉は、現在の日本にとって重要なことを示唆しているのではないか。
 我が国が連合国の占領下にあったとき「歴史的事実ではない」「創作された物語に過ぎない」「科学的ではない」などの理由で、『古事記』『日本書紀』(最後の文字をとって「記紀」と称する)は「学ぶに値しないもの」とされた。それだけではない。それらは、日本が軍国主義に向かった元凶とされ、さも有害図書であるかのような扱いさえ受けてきた。
 日本の若者が日本神話を知らないという異常事態は、わが国の建国以来、経験したことが無い未曾有の危機と言わねばならない。 

■連合国の占領の目的は唯一つ
 記紀を封印し、国民の意識の中から抹消することは、日本の無力化を意図する連合国の対日戦略であることにそろそろ気づくべきだろう。連合国の日本占領の最大の目的は「日本が二度と再び欧米に対して戦争を起こさないように、骨抜きにすること」だったはずだ。

 すなわち、連合国は日本人と日本神話を引き裂くことによって、近い将来日本人が日本人の精神を失い骨抜きになること、すなわち「日本民族の滅亡」を意図していたのである。連合国は実に痛い所を突いてきた。日本神話を教えないだけで、兵士の命を失うことなく、しかも武器弾薬を使うことさえなく、確実に日本民族を滅亡に導くことができるのである。
 そのうえ、日本神話を教えないという戦略は、一見民族の滅亡を意図しているとは思われない。日本は「百年殺しの刑」にかけられたようなものである。 

■ゆでガエル症候群
 生きたカエルをゆでようと煮立った湯に入れても、カエルは鍋から飛び出してしまうという。生きたカエルをゆでるには、熱くない内にカエルを鍋にいれて、徐々に加熱しなくてはならないらしい。このことは「ゆでガエル症候群」と呼ばれている。

 もし連合国が、占領期間中に皇室を廃止し、政府を解体し、あらゆる神社仏閣を焼き払い、公用語を英語に切り替えるようなことをしたら、日本人は強く反発したことだろう。本当に一億人が竹槍を持って戦った可能性もある。
 しかし、神話を教えないという方法は、同じ結果を導くにも関わらず、その意図が分かりにくいため、日本人はその意味を理解することができず「ゆでガエル症候群」にかかったまま、長年放置してきた。 

■神話を知ることに意義がある
 神話というものは、必ずしも史実だけが書かれたものではない。『ギリシャ神話』『旧約聖書』をはじめとする世界の主な神話には、史実とは思えない物語の数々が収録されていることは多くの人が知るところだろう。

 ところが、近代合理主義の権化ともいえる米国は、対日政策とは裏腹に、しっかりと子供たちに神話を教え込んでいる。米国では『聖書』を知らなければジョークの多くは理解できないといわれる。「史実ではない」「科学的ではない」などという理由で、神話を学ばなくてよいということにはならないのである。日本人なら、好き嫌いの前に、日本神話に何が書かれているかは、知っておかなくてはならない。地震と台風の震災に見舞われた今年、大和心の価値を見直す動きが顕著になった。古事記を読むことは、その最も近道ではなかろうか。
 平成二十四年は古事記千三百周年に当たる。来年こそ、国民が古事記との縁を取り戻す最後の機会になるのかもしれない。あと二十年もしたら修復不可能になるだろう。しかし、まだ間に合うと私は思うのだ。 

第11回 女性宮家創設は「禁じ手」

■俄かに浮上した女性宮家創設案
 御不例により東大付属病院にご入院中であられた天皇陛下が御退院あそばした翌日の十一月二十五日、読売新聞は一面トップに「『女性宮家』の創設検討」という見出しを掲げた。記事によると、宮内庁は、皇族女子による「女性宮家」創設の検討を「火急の案件」として野田総理に要請したという。

 その後官邸と宮内庁は、皇族が今後減少する問題を解決する必要性について認識しているものの、「女性宮家創設」という具体的な話は出ていないというが、どこまで具体案が検討されているか、真相は不明である。
 この読売新聞のスクープ記事が切っ掛けとなり、メディアで女性宮家創設がしきりに取り上げられるようになり、秋篠宮妃殿下のご懐妊で中断していた、皇室制度の議論が再び蒸し返されることになった。 

■皇族の減少への対策は必要
 たしかに、官邸と宮内庁が危惧するように、このままでは将来的に皇族が減少し、皇位の安定的継承に問題が生じる可能性が高い。

 現在皇室には天皇陛下の他に、二十二方の皇族がいらっしゃるが、その内女性皇族が十五方であるのに対し、男性皇族は七方と少ない。皇位を継承できる皇族男子は、陛下の子の世代には皇太子殿下と秋篠宮殿下のお二方、また、孫の世代には秋篠若宮殿下のお一方のみ。
 しかも、今後皇族がご誕生になる可能性があるのは、将来秋篠若宮殿下がご結婚あそばした後に限定されるため、今後皇族が増えることは期待できない。それどころか、二十代の未婚の女性皇族六方は遠くない時期にご結婚あそばされ、皇籍をお離れになるため、今後皇族は激減することが確実であるばかりか、悠仁親王殿下の御即位により、宮家は一つもなくなることがほぼ確実とみられる。 

■女性宮家は形を変えた女系天皇論
 ところが、皇族を確保するために、如何なる手段を講じてもよい訳ではない。女性宮家創設とは、すなわち女性皇族が民間から婿を取ることを意味する。もしこれが現実のものとなれば、皇室の歴史上、初めて民間出身の男性が皇族の身分を取得することになる。そして、その子や孫が将来の天皇となった場合、男系継承の原則が崩され、初の女系天皇が誕生することになる。

 女性宮家創設というのは一般人の耳に優しく響くだろう。しかし、女系天皇を容認する国民的合意なくして、女性宮家について論じるのは適切ではない。女系天皇論者は、悠仁親王殿下ご誕生で女系天皇論が進められなくなっていたところ、最近になってこれまでと違った形で攻勢を仕掛けてきたのである。これは、天皇陛下の御体調を慮る国民の感情を巧みに利用したものであり、女性宮家創設の皮をかぶった女系天皇論にほかならず、「禁じ手」というべきである。 

■女性宮家を可能にする唯一の方法
 ただし、女性宮家を創設させる方法は一つだけ存在する。それは、女性皇族が女性宮家を創設させられる条件として、婿を旧皇族の男系男子に限定することである。新しく創設される宮家の当主には、血統が要求されて当然であり、この方法によれば、男系継承の原則は確実に守られる。

 「旧皇族は六十年以上民間の垢にまみれてきた」との主張もあるが、それを言うなら、女性宮家創設では、六十年どころか何千年遡っても皇室にたどり着かない男性を皇族に加えることになる。まして、皇室に入り込んだ男性が、どこかの国のスパイだったら取り返しがつかない。イギリス国王エドワード八世が、王位を辞してまで結婚したシンプソン夫人は、ナチスドイツのスパイだった教訓を忘れてはいけない。
 今般の女性宮家創設を、女系天皇容認の方向ではなく、これを逆手に取るようにして、男系継承を守るための方法論に誘導することができないものだろうか。 

第12回 女性宮家創設にメリットはあるか

■男系と女系の違いを知らなかった官房長官
 平成二十四年三月十二日に行われた参議院予算委員会で、有村治子議員が、藤森官房長官に「男系天皇」と「女系天皇」の違いを問うたところ、官房長官は「男系というのは、天皇の、直系で、男子、ということだと思います」と間違ったことを答弁し、議場は「いい加減にしろよ」「そんなことも分からずに女性宮家の話なんか議論してるのか」などの怒鳴り声が飛び交い、一時騒然とし、議事が中断した。何と、官房長官は男系と女系の違いを知らなかったのである。

 官房長官の後ろに控える官僚が、慌てて書類を探し出し、暫らくして官房長官がそのペーパーを見ながら、ようやく「天皇と男性のみで血統がつながる子孫を男系子孫と言う。これ以外のつながりの場合を女系と言う」と説明した。
 一般の国会議員が知らないならともかく、官房長官は皇室典範改正法案が国会に提出される場合の法案提出責任者である。その本人が、男系と女系の違いを知らなかったことが判明したことは記憶しておかなくてはなるまい。 

■女性宮家は陛下の御意思でないことが確認された
 この予算委員会では、もう一つ重要なことが明らかになった。有村議員が、羽毛田宮内庁長官は天皇陛下の御意思を受けているかを確認したところ、宮内庁次長が答弁台に立ち、天皇陛下は政治問題につき御発言になることはないと明言した。女性宮家創設が陛下の御意思であるという実しやかな噂が飛び交ったこともあったが、宮内庁次長の答弁により、それがはっきりと否定されたことになる。

 羽毛田長官は陛下の御意思を受けて発言しているというのは、これまで週刊誌などが繰り返し記事にしてきたことだが、その根拠はこれまで示されたことはなかった。天皇の御意思を持ち出して言論を封じるのは、皇室の政治利用に当たり、厳に慎まなければならない。宮内庁長官の発言は、立場上、そのように受け止められることがあるため、宮内庁長官の政治発言も、憲法上の問題があり、慎むべきである。 

■女性宮家創設で御公務は軽減されるか
 またこの質疑では、野田総理が、女性宮家創設は「天皇陛下の御公務削減のため」であると繰り返して述べた。政府側が示す女性宮家創設の唯一のメリットは「御公務削減」である。

 しかし、そこには大きな嘘が隠されている。女性皇族方は、天皇の御公務を担う立場にない。昨年と今年の陛下の御入院で、その御公務を担われたのは主に皇太子殿下で、ごく一部を秋篠宮殿下がお担いになった程度である。しかも、結婚を控える女性皇族方は、全方、つい数年前まで未成年でいらっしゃったのであり、御公務などなかった。
 したがって、女性宮家を創設すれば陛下の御公務軽減に繋がるというのは、全くの間違いであることが分かるだろう。では、陛下の御公務を担えないのであれば、女性宮家を創設して一体どのようなメリットがあるというのか、甚だ疑問である。 

■御公務軽減のためには
 天皇陛下の御公務は、先ず祭祀と年中行事で、年間の予定のほとんどが埋まり、その間を縫うように、各省庁から上がってくる要請に従って決められる。本来であれば宮内庁が的確に取捨選択すべきだが、どうも、わざわざ陛下の出御を願う必要のない行事も含まれているように思えてならない。

 陛下が御多忙であられるのも、ひとえに宮内庁の責任なのであり、女性皇族の人数の問題とは無関係であることは明確にしておきたい。
 政府が提言する女性宮家創設によって、皇統を担えない宮家を無理やり確保するのではなく、将来いざというときに皇統を担える男系の男子による宮家を確保する方法を考えるのが先ではあるまいか。何のための議論か、その目的を見失ってはいけない。 

第13回 聖上の大葬と山陵に関する一考察

■羽毛田長官の発表で明らかになった聖旨
 羽毛田信吾宮内庁長官は定例会見で、天皇と皇后の埋葬方法について「天皇、皇后両陛下のご意向を踏まえ、火葬に変更する方向で検討する」と発表した。長官の説明によると、両陛下はかねて、武蔵野御墓地が「用地に余裕がなくなっているのではないか」と仰せで、民間と同じように火葬にすべきこと、そして、陵は皇后との合葬にして規模を縮小して簡素なものとし、さらには、大喪も「極力、国民生活への影響の少ないものとするように」との御意向という。

 大喪と御陵について叡慮が明らかになるのは異例であり、しかも、もし火葬が実現すると、約三五〇年ぶりに、埋葬方法が変更されることになる。長官は、陛下の御意向を受けて、火葬、薄葬、合葬の方向で、今後一年程かけて宮内庁で検討を進めるとした。
 埋葬方法変更の思召は、民の生活を慮る天皇陛下のお気持ちから発せられたものであることを思うと、真に恐懼に堪えない。陛下は、大震災の復興に暫らく時間を要することに気を掛けておいでと拝察致す。 

■皇后陛下の御遠慮と羽毛田長官の嘘
 ところが、羽毛田長官が埋葬方法の思召を公表したその翌週、今度は風岡典之宮内庁次長が定例会見で、宮内庁が合葬を検討するとしたことについて、皇后陛下が「陛下とご一緒の方式は遠慮すべき」とお考えになっていらっしゃることを明らかにした。

 合葬の聖旨について、「御遠慮」なさる皇后陛下の思召もまた、陛下の尊厳を最大限に尊重なさる皇后陛下の真摯なお気持ちの表れと思うと、余りに畏れ多い次第であり、両陛下の私心の無い清らかな御心に只々敬服するばかりである。
 しかし、両陛下の崇高なお気持ちとは裏腹に、宮内庁の対応に違和感を抱いた人は多い。皇后陛下が「御遠慮」を表明なさったことから、長官は皇后陛下の御意見を伺ったと言っておきながら、実際は伺っていなかったことが明らかになった。長官の嘘が露呈したのである。テレビなどをご覧になった皇后陛下が、次長を通じて長官の示したことを否定する必要が生じたのは、長官の不手際以外の何物でもない。
 違和感はそれだけではない。そもそも埋葬に関して陛下のお考えを公表すること自体、果たして適切であるか、大きな疑問がある。先帝や明治天皇にも必ず御陵造営について思召があったはずだが、それが公表されることはなかった。
 あまつさえ、なぜこの時期に埋葬の話題を持ち出すのか、不敬の極みというべきだろう。天皇陛下は昨年と今年と続けて御入院あそばし、最近ようやく御健康を取り戻しつつあって、国民が玉体の安寧を祈っている最中に埋葬の話をするなど、配慮に欠ける。 

■真の忠臣の行動とは何か
 しかし、埋葬方法変更の御意思が分かったとはいえ、どこまで従うべきかは難しい問題だ。持統天皇以降千年もの間、歴代天皇は原則として薄葬の詔を発し続けてきた。にもかかわらず現在でも御陵が一定の規模を保っているのは、必ずしも天皇の御意思に従ってこなかった結果である。毎度縮小を続けたなら、今頃はペットの墓のようになっていただろう。

 幕末の大火で、孝明天皇が御所に留まると仰せになったところ、公家たちが嫌がる天皇の着物の裾を引いて無理やり避難させたことがあった。この時、御意思に従っていたら、孝明天皇の御命は無かった。陛下の御意思に忠実に従うことが必ずしも忠臣の姿ではない。
 御意思ありきではなく、これを参考にしつつも、伝統と将来の皇室に思いを致し、相応しい形式を慎重に検討すべきである。新憲法が公布されても、昭和天皇の御陵は大正天皇の形式が踏襲されていることを重く受け止めなくてはならぬ。私は畏れながら、今後も昭和天皇の例を踏襲すべきと思う。 

第14回 竹島・尖閣事件を国益に転じるために

■韓国大統領の暴走
  八月十日に韓国の李明博大統領が竹島に不法上陸をした。この日はロンドン五輪の開催期間中で、奇しくもこの日は日韓のサッカー男子三位決定戦の当日であり、しかも、日韓のバレーボール女子三位決定戦を翌日に控えていた。その上、サッカーの試合後に韓国の朴選手が韓国語で「独島は韓国の島」と書かれたプラカードを掲げるという暴挙を行った。

 そして、十四日には李大統領が天皇に謝罪を要求したと報じられ、十五日には香港の活動家が尖閣に不法上陸する事件を起こしている。そればかりか、李大統領は野田総理が宛てた親書を返信するという外交儀礼上あり得ない行動に出た。
 尖閣上陸事件を契機として、中国各地で反日デモが起こり、人民が次々と日本車を破壊し、日本料理店を襲撃していると伝えられる。さらに、二十七日には、丹羽中国大使が乗った公用車が襲撃され、日本国旗が奪い取られるという事件も発生した。
 この八月は、日本国民にとって、韓国と中国に対する激怒と失望の連続だったのではなかろうか。 

■五輪を踏みにじった李氏と朴氏
 五輪は平和の祭典であり、大会期間中には戦争を止めるという理想がある。かつて、戦っていた兵士同士が武器を置いて競技に参加すると、殺し合いをしていたことが馬鹿らしく思えてきて、そのまま講和したこともあったという。李大統領が五輪開催中に、竹島に上陸し、国際紛争の新たな火種を作ったことは、五輪を冒涜する行為として糾弾されなくてはならない。

 しかも、五輪憲章は競技会場などでの政治的宣伝活動を一切認めていない。一九六八年のメキシコ五輪では男子二〇〇米走の表彰式で、二人の黒人選手が人種差別反対を訴える黒手袋を掲げる行為を行ったとして、国際五輪委員会は両選手を永久追放処分とした例がある。人種差別撤廃は人類共通の利益だが、それでも厳しい裁定が下された。まして、一国の領土権を主張するなど、五輪精神を屈辱する行為以外の何ものでもなく、英国では対韓感情が俄かに悪化しているという。
 また、元首が元首に宛てた親書を返送することは、戦争を控えた、あるいは戦争中の国同士でもあり得ない不敬な行為である。 

■全ては日本の国益に繋がる
 このような忌々しい事件が相次ぐと、いくら温厚な日本人でも気分を害するだろう。しかし、考え方次第では、これほど愉快なことはないのである。

 竹島を実効支配しているのは韓国であり、韓国にとっては、あと五十年位波風が立たずに事が推移するのが一番の国益だったはずである。大統領上陸により、竹島の紛争の実態を広く国際社会に知らせる機会をえたことは、日本にとって実に好都合だった。李氏の愛国行動は、結局は韓国の国益を棄損する結果になったのである。
 また、天皇を屈辱する発言自体は看過できない問題だが、この発言によって、天皇陛下の訪韓があと百年は遠のいたと思えば、これほど愉快なこともない。宮沢政権下で強行された訪中の二の舞になることは明らかであり、民主党政権が水面下で進めていた陛下の訪韓が完全に頓挫することになったのは、日本の国益に叶うものであろう。
 竹島・尖閣の一連の事件のお陰で、これまで国防に興味がなかった若者ですら、領土保全の問題意識を芽生えさせた。これも有り難いことではあるまいか。この時期に防衛について国民的議論を起こして、防衛費増額を決定し、アジアの中で日本だけが毎年軍縮を続けている状況に歯止めをかけるべきであろう。それだけで、日本が中韓朝露に対して領土防衛の覚悟を示すことになるはずだ。
 眠れる獅子が目覚めようとしている。日本が普通の国になるための第一歩を踏み出す絶好の機会を与えてくれた李大統領に御礼を申し上げたい。

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Last-modified: 2024-04-09 (火) 10:19:21