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「終戦の日」は9月2日に変更すべきである…日本人であれば「8月15日」を受け入れるべきではない理由
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■なぜ私は「8月15日は終戦の日ではない」と主張するのか
8月14日に公開された拙論〈8月15日は終戦の日ではない…早大教授が「終戦の日は9月2日に改めるべき」と強く主張する理由〉は、かなり長い記事であるにもかわわらず、多くの読者に読んでいただいた。だが、内容に次のような疑問を呈する方もいた。
【写真】ソ連も参加した1945年9月2日の「降伏文書」調印式
「8月15日は昭和天皇が『終戦の詔勅』(それをラジオで伝えたのが玉音放送)を発した日で、それを占領軍のプロパンダというのは意味がわからない」
「9月2日を終戦の日とせよというが、それだと、ロシア(当時はソ連)に北方領土占拠を正当化する口実を与えるのではないか」
同じような疑問をもった読者は意外と多いのかもしれない。これは歴史認識にもかかわるので重要である。そこで、前掲記事を補完し、より分かりやするために、以下の記述を付け加えたい。
■「玉音放送」で戦争が終わったわけではない
まず、「終戦」が何を意味するのか考えることから始めよう。というのも、これが必ずしも一致していないと思われるからだ。
ある人は(1)天皇がラジオを通じて「終戦の詔勅」を発したことをもって終戦と考える。またある人は、(2)実際に戦闘が終わったことをもって終戦とする。さらに、(3)日本と戦争状態にあった国と終戦の協定を結んだとき、あるいは相手国と平和条約を結んだときをもって終戦とする人もいる。
(1)の理由をもって8月15日が終戦の日だとする人が意外に多い。日本側の映画やテレビ番組では、天皇や重臣たちが降伏を決断して、そこで終戦になったとされる。それを相手に伝え、交渉するという過程がすっかり抜け落ちている。半藤利一のノンフィクション『日本の一番長い日』がその好例だ。
毎年、繰り返し「玉音放送」が流れ、国民が地面に突っ伏す映像が流されることも、日本人の心に大きなインパクトを与えている。これらのせいで、天皇が終戦と宣言したのだから戦争は終わったのだと考える人が一定数いるのだろう。
しかし、現実には、天皇が日本国民に対して「終戦の詔勅」を発したからといって、交戦国の兵士はそれに拘束されるわけではない。天皇の戦闘停止命令に合わせて交戦国側のトップも戦闘停止を命じなければならない。
■ソ連軍は8月15日以降も戦闘を停止しなかった
ソ連軍を除く連合国軍は、8月14日にアメリカ大統領ハリー・S・トルーマンが出した戦闘停止命令に従っている。日本側は切羽詰まっていたので急いでいたが、英米はそうではなかったので、8月14日よりあとの適当な時期に戦闘停止を命じてもよかった。
事実、アメリカ側も日本側も、バーンズ回答に対する再回答を受け取ることなく、めいめいかってに戦闘停止を命じている(詳しくは拙著『一次資料で正す現代史のフェイク』(扶桑社新書)第7章「日本が無条件降伏したというのはフェイクだ」に譲る)。命令が日米ほぼ同時に出されたのは偶然だった。
一方、ソ連軍は「終戦の詔勅」もトルーマンの戦闘停止命令も守るいわれがなかった。「日本の降伏条件を定めた公告」(通称ポツダム宣言)に合意も署名もしていなかったからだ。
これではソ連軍は戦闘停止する理由がないのだから、日本軍側が戦闘停止するかどうかとは関係なく、侵略と軍事占領をほしいままにすることになる。この状態では(2)の終戦はない。ソ連に組織的軍事行動を止めるには、そのための多国間協定が必要だ。
■ソ連が終戦協定を結んだ9月2日が「終戦の日」
それが9月2日に結ばれた終戦協定としての「降伏文書」(Instrument of Surrender、出典=外務省外交史料館 戦後70年企画 「降伏文書」「指令第一号」原本特別展示)だ。ソ連はクズマ・デレビヤンコ中将が降伏文書調印式に代表として列席し、署名している。これによって「日本の降伏条件を定めた公告」の枠組みにソ連も、そしてオーストラリア、カナダ、フランス、オランダ、ニュージーランドも加わることになった。
ソ連はこれに縛られることになり、調印式の3日後に歯舞・色丹の占領を完遂したのち、組織的軍事行動を止めた。つまり(3)の終戦になったのだ。
戦争とは相手国があるので、日本側だけ戦闘停止しても、相手国も戦闘停止しなければ停戦にもならない。この意味でも(1)の終戦はありえず、(3)でなければならない。つまり、8月15日ではなく9月2日が終戦の日でなければならない。
では、なぜ、現在日本では8月15日を終戦の日としているのだろうか。日本人にとっては意外なことに、アメリカは終戦の日を9月2日としている。アメリカが主導して東京湾上の戦艦ミズーリ号に各国代表を集め、終戦協定調印式のセレモニーを大々的にしたのだから当然だろう。
■占領下で「8月15日は終戦の日」と報道
ソ連と中国は9月3日としていたが、ロシアは9月2日に変えた。さらにプーチンはそれを元の3日に戻そうとしている。意外かもしれないが8月15日は日本だけだ(韓国は日本の朝鮮半島統治から解放されたことを祝う「光復節」を8月15日としている)。
ためしに、いつから8月15日を終戦の日とするようになったのかを新聞データベース「聞蔵II」と「ヨミダス歴史館」で調べると、終戦の次の年、つまり1946年からだ。朝日新聞は1951年には「降伏の日」としていたのを翌年には「終戦記念日」としている。読売新聞も1952年には「終戦7周年」とし1954年には「終戦記念日」としている。
日本が独自に決めたと思うかもしれないが、それはあり得ない。1952年までは占領下にあったので、このような重要な歴史認識に関わることは、すべて占領軍が検閲し、言論統制していた。原爆に関する報道は、検閲によって原則禁止し、広島では原爆投下の8月6日を「平和の日」と呼ばせたくらいだ。
■「占領軍が日本を降伏させた日」が好都合だった
アメリカ政府自身は9月2日としているのに、なぜ占領軍には8月15日のほうが都合良かったのだろうか。それは、自分達がこの日に日本を降伏させたからだろう。9月2日では、ソ連軍も加わってしまう。言い換えれば、8月15日なら占領軍は「われわれが日本を降伏させた」といえるが、9月2日だと「われわれとソ連軍が日本を降伏させた」になってしまう。また、当時、占領軍にとって前者を強調したほうが日本の占領統治がやりやすかった。
実際、占領軍は1945年12月7日からウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(日本は無条件降伏した、日本人に戦争の責任がある、とした占領軍のプロパガンダ)の一環として「太平洋戦争史」を10回に分けて日本のあらゆる新聞に掲載させた。
この連載記事では、アジア・太平洋でアメリカ軍が日本軍を完膚なきまでに打ち負かし、8月15日の降伏に追い込んだことが強調されている。占領軍にとっては、8月15日は自分達が日本軍を打ち負かした記念日なのだ。私が「8月15日は終戦の日」は占領軍のプロパガンダだと主張するのはこの意味だ。
占領軍総司令官ダグラス・マッカーサーからすれば、8月15日は自分たち軍人が日本を屈服させた記念すべき日で、9月2日はトルーマンたち政治家が日本を政治的に降伏させた日なのだ。マッカーサーが日本占領にあたってかなりの裁量を与えられ、しばしば国務省、および大統領と衝突したことはよく知られる。
■ソ連軍の不法占拠が正当化されることはない
次に「9月2日を終戦の日とすると、ロシアに北方領土占拠を正当化する口実を与えることになるのではないか」という疑問について述べよう。
このように言う方は、単純に軍事占領イコール領土獲得と考えている方だろう。しかし、国際法では、当時も現在も、軍事的に占領しても領有は認められない。たとえ軍事的に支配できたとしても、当事国とその地域住民の意志に反して、領土とすることはできない。スターリンが加わったカイロ宣言でも、侵略によって奪ったものは返さなければならないと確認している。
したがって、9月2日に終戦の日を変えたとしても、ソ連が9月2日までに軍事占領した地域を領土とすることはできない。実際、9月2日に交わされた「降伏文書」は、領土問題については一切触れていない。決めたのは、ソ連などの国が「日本の降伏条件を定めた公告」の枠組みに加わること、その条件の下に戦争を終結させることだけである。どの地域にいる日本軍がどの国の軍隊に降伏し、武装解除を受けるかは指定しているが、領土については何も規定していない。
9月2日に調印した「降伏文書」にロシアの不法占拠を正当化できる文言はなにも書かれていないことが、終戦の日を9月2日にしてもロシアに口実を与えることにはならないことを示している。
■「本当の終戦の日」は9月2日に変更すべき
以上述べてきたように、8月15日が終戦の日になったのは、日本というより占領軍の都合だった。そして、7年にわたる占領統治の間に、言論統制によって「8月15日イコール終戦の日」が固定化され、現在に至っている。
また、9月2日を終戦の日としても、「降伏文書」に領土規定がない以上、ソ連が軍事占領によって不法に占拠した南樺太と千島列島の領有を認めることにはならない。そもそも、ソ連の侵略は日ソ中立条約に反したものであり、ソ連を除く連合国の承認も得ていない国際法上違法なものだった。終戦の日付をずらしたところで、このことは変わらない。
8月15日以降のソ連軍の侵攻によって命を失った数万から数十万の日本兵、民間人、それらの遺族の心情を思えば、そして終戦の日のメディアイベント化が占領軍のプロパガンダだったことを思えば、そろそろ9月2日に変えてもいいのではないだろうか。
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有馬 哲夫(ありま・てつお)
早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授(公文書研究)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『原発・正力・CIA』『歴史問題の正解』『日本人はなぜ自虐的になったのか』『NHK受信料の研究』(新潮新書)など多数。
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早稲田大学社会科学部・社会科学総合学術院教授(公文書研究) 有馬 哲夫
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