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本当の歴史を
学校で習ったことは、後、大人になっても鮮明に覚えているものである。
だから、50になっても60になっても、子供のころ習ったことはその後の人生に大きな影響を与える。
特に、小、中学の社会科で習った歴史はよく覚えていて、ときどき歴史番組などを見ているときに、あまりに大きく違うので驚くことがある。
その後の30年、40年で大きく歴史は変わってきている。新しい考古学的発見や、新資料の発見が相次ぎ、昔、学校で習ったことはかなり修正しなければならない。
ところが、社会に出て働いているとあまり歴史に興味のない人は、子供のころ学校で習ったままが頭に残っていて、新しい学説を素直に。受け入れることが困難になっている。
特に、昭和30年代から40年代、勿論、地域差も大きいと思うが、歴史教育の面でもイデオロギーの影響が強かった。特に近代、現代史にこの傾向が顕著である。
また、それ以前の日本史に於いても、階級闘争史、支配者と被支配民という観点から語られることが多かった。
このように、歴史を、二極化して単純化してしまうと、どうしても複雑な政治状況や微妙な問題が見過ごされてしまい、その本質を見失う。
戦後昭和世代の殆ど日本人がそういう観点で歴史を見ていたし、当然その人達が読む小説を書く小説家なども同様であった。
司馬遼太郎など、あまりそういう政治的なことを言わない人でも、その思想の片鱗は随所に見受けられるのである。
大東亜戦争後の昭和は、ほとんどの日本人が、左翼とは言わないまでも、いわゆる自虐史観に陥っていた時代である。日本の伝統文化は貶められ、古臭いものとして打ち捨てられてきた。
そういった時代に、一世を風靡したのが、江上波夫の「騎馬民族征服王朝説」である。
この時代は、殊更、自国の歴史を卑下し、中国や韓国に阿る風潮があった。
このような時代の雰囲気にぴったりあったのが、大陸を起源とする騎馬民族、扶余族の一派が、日本に渡って来て大和朝廷を作り、皇室の祖先となったというこの説である。
この扶余族の一派が建国したのが高句麗と百済であるから、朝鮮人が皇室の祖先であるという論法になるのである。
今で考えれば実に荒唐無稽な話なのだが、その当時は大まじめで議論されていた。
これが、歴史学会の中だけで論議されていただけなら問題はなかったのだが、一般にも出版されていた為に、多くの一般人の頭のなか深く植えつけられることとなってしまった。
このことは、後、民主党政権発足時、小沢一郎氏が韓国へ行って、この様なことを言って、韓国民の歓心を買おうとした。
このとき、彼の頭の中には、この騎馬民族征服王朝説があったことは間違いのないことであろう。
この様な小沢氏の言動は、ただの外交辞令で済ませられる話ではない。
60年前のアホ学者の筆に任せた与太話が、一国の政治問題にまで悪影響を及ぼす格好の一例といえよう。
この例でもわかるように、真実の歴史というものは、それほど重要なものであり、場合によっては一国の外交にも大きな影響を及ぼすものなのである。
江上波夫が東京大学教授という肩書を利用して、この様な大ボラを吹かなければ、小沢一郎も、あのような根も葉もないことを言って国益を損ね、国中のひんしゅくを買うこともなかった筈である。
この様に、歴史学者の責任は重大であり、真実の日本史をしっかり検証して、俗説、珍説、を排し、イデオロギーの入り込む余地のない正確なものを後世に残す必要があるのである。