北条氏直
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北条氏直
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北条氏直(ほうじょう うじなお) 1562~1591 ○国王丸 新九郎 見性斎 左京大夫 ◇父:北条氏政 室:徳川家康女 相模・北条氏最期の当主。実際に実権は父氏政が握っていたようである。1582年滝川一益を上野・神流川に敗る。その後、三河・徳川氏と和を結んで、甲斐・武田氏の旧領を分けて上野を領する。1589年真田昌幸の上野・名胡桃城を攻めたことから、豊臣秀吉の小田原征伐の口実を与えた。氏直は一族の氏規と共に和平派であったが、父氏政や氏照ら主戦派に押されて、結局秀吉の侵攻を籠城戦で迎えるが、内部の一致を欠き降伏、高野山配流となった。翌年30歳で没。
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北条氏直(ほうじょう うじなお) 1562~1591 ○国王丸 新九郎 見性斎 左京大夫 ◇父:北条氏政 室:徳川家康女 相模・北条氏最期の当主。実際に実権は父氏政が握っていたようである。1582年滝川一益を上野・神流川に敗る。その後、三河・徳川氏と和を結んで、甲斐・武田氏の旧領を分けて上野を領する。1589年真田昌幸の上野・名胡桃城を攻めたことから、豊臣秀吉の小田原征伐の口実を与えた。氏直は一族の氏規と共に和平派であったが、父氏政や氏照ら主戦派に押されて、結局秀吉の侵攻を籠城戦で迎えるが、内部の一致を欠き降伏、高野山配流となった。翌年30歳で没。
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