北条綱成
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北条綱成
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北条綱成(ほうじょう つなしげ) 1516~1587 ○福島氏 勝千代 孫九郎 道感 左衛門大夫 上総介 ◇父:福島正成 室:北条氏綱女 弟:福島弁千代勝広(北条綱房) 子:北条氏繁、治部少輔氏秀(康元) 相模・北条氏臣。父は駿河・今川氏臣。父戦死後、北条氏の下に身を寄せて、これに仕え相模・玉縄城主となる。1546年河越の野戦、1564年国府台の合戦等、数々の戦いを勝利に導いて武勇を響かせた。北条氏五色備の黄備を担当し、黄色の練の四隅に八幡の2字を墨書した旗指物を用いて“地黄八幡”と呼ばれた。後に外交面を担当して、諸大名に対する講和、諜略に手腕を発揮した。義兄氏康死後、出家して家督を子に譲った。
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北条綱成(ほうじょう つなしげ) 1516~1587 ○福島氏 勝千代 孫九郎 道感 左衛門大夫 上総介 ◇父:福島正成 室:北条氏綱女 弟:福島弁千代勝広(北条綱房) 子:北条氏繁、治部少輔氏秀(康元) 相模・北条氏臣。父は駿河・今川氏臣。父戦死後、北条氏の下に身を寄せて、これに仕え相模・玉縄城主となる。1546年河越の野戦、1564年国府台の合戦等、数々の戦いを勝利に導いて武勇を響かせた。北条氏五色備の黄備を担当し、黄色の練の四隅に八幡の2字を墨書した旗指物を用いて“地黄八幡”と呼ばれた。後に外交面を担当して、諸大名に対する講和、諜略に手腕を発揮した。義兄氏康死後、出家して家督を子に譲った。
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