三国遺事
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三国遺事(さんごくいじ)
『三国遺事』は高麗国(918年~1391年)の高僧・一然(1206~...
一世紀前に出された『三国史記』(金富軾編纂)が儒教的な...
倭人関係では、何と言っても朝鮮半島南部に所在した倭人国...
これあるがために、『三国遺事』は倭人研究において千金の...
『三国遺事』は5巻に纏められているが、倭人に関係するのは...
ここでは、遺事のすべてにわたって述べるのが筋ではなく、...
<巻第一>
紀異 第一
・古朝鮮(神話)
桓因(帝釈天)の庶子である桓雄は太白山の頂上に降り、太...
周の武王(BC1020頃)の時代に、先の王朝・殷の宗族...
(注)
・箕子朝鮮・・・殷の紂王の暴虐をいさめようとしたのが箕子...
主従や一族は南下して馬韓(のちの百済)に救いを求めて土...
・阿斯達・・・アシタ。注記によればアシタとは朝鮮語で「小...
・衛満朝鮮
燕王の盧綰(ロエン)は、漢にそむいて匈奴側に付いたが、...
ところが漢の武帝のとき、衛満の孫の右渠が討たれて衛氏朝...
(注)
・箕子王・準の亡命・・・箕子の40数代の後裔が準王である(...
ワイ(さんずいに歳)はその音価から「倭人の近縁」と考え...
・馬韓
『魏志』にいうには、衛満が朝鮮を撃つと、王・準は左右の...
(注)
・国を開き、馬韓と・・・これは誤りで、馬韓はすでに存在し...
・楽浪国
『新唐書』注には、平壌城は昔の楽浪郡であるといっている。
新羅の人もまた、(みずからを)楽浪と呼んでいた。
(注)
・平壌城・・・今の平壌と同じ北朝鮮の城市。ここが昔の楽浪...
・楽浪郡・・・衛氏が滅びたあと(前108年)に漢王朝・武...
・五伽耶
阿羅伽耶(今の咸安)・古寧伽耶(今の咸寧)・大伽耶(今...
(注)
・五伽耶・・・すべて洛東江の流域に展開する国家群である。...
・高句麗
高句麗はすなわち卒本扶余である。『三国史記』には始祖の...
金蛙には7人の子がおり、中でも朱蒙は飛びぬけて優れていた...
(注)
・解夫婁・・・カイブルと書いてケブル。「カイ→ケ」の転訛は...
魏志扶余伝によれば扶余の王家の倉庫には「ワイ(さんずい...
この四散してしまうワイ族は、どうしても「ワ(倭)族」に...
・卞韓 百済(南扶余)
新羅の始祖・赫居世即位19年(BC39年)に卞韓(弁韓=カ...
『三国史記』「百済本紀」を見ると、(始祖の)温祚が起こ...
(注)
・卞韓・・・カラハンは朝鮮語読み。ベンカン(弁韓)のこと...
そもそも項立てでカラハンつまり弁韓と百済を一緒に扱って...
三国史記では新羅・百済の建国を漢代に求めているが、いわ...
・辰韓
『後漢書』に、「辰韓の耆老(キロウ=年とって高徳の者)...
(注)
・秦の人・・・後漢書が参照した「魏志韓伝」のこの部分では...
同じ魏志韓伝には「辰韓は、古の辰国なり」とあり、「古の...
・新羅始祖 赫居世王
(辰韓の)六部(六つの村)の祖先たちは、みな天から降り...
六部の祖先たちは、「われわれの上に君主と呼ばれるものが...
その時に日と月がことさら清明であったので「赫居世」すなわ...
国号は徐羅伐(ソラボル)または徐伐(ソボル)といい、あ...
(注)
・紫の卵・・・新羅の始祖伝説には必ず「卵」が登場する。こ...
・徐羅伐・・・ソラボル。ソラは「曽羅」で「羅」は「奴(ナ...
・第四 脱解王
第2代・南解王のとき、賀洛国の海岸に船が漂着し、中には...
「私はもと竜城国の者で・・・父は含達婆、母は積女国の王...
脱解は瓠公の家を、知略でもって我が物とし、そこに住んだ。
脱解は第2代南解王の長女を妻とし、第3代弩礼王のあとを...
(注)
・賀洛国・・・カラ国、金官伽耶国、魏志倭人伝では「狗邪韓...
・竜城国・・・本文の注記によると、正明国・晥夏国ともいい...
私見では、「タバナ国」のほうが倭語を正確に捉えていると...
脱解が即位した光武帝中元2(57)年といえば、「倭の奴...
・瓠公・・・ホコウ。『三国史記』新羅本紀の始祖王・赫居世...
・延烏郎 細烏女
第8代・阿達羅王の4年(157)のある日、東海のほとり...
夫婦は日本で王と王妃になったが、新羅では太陽と月の光が...
祭天した所を「迎日県」また「都祈野」と名付けた。
(注)
・延烏郎・細烏女・・・「烏」は人名によく使われる、と注記...
日本書紀の「垂仁紀」二年条の分注には「オオカラ国から来...
また、同紀三年条ではまさに新羅から渡来した王子アメノヒ...
いずれにしてもかなり早い時期に、すでに半島南部とは交流...
<巻第二>
紀異 第二
・南扶余 前百済 北扶余
百済の世系は高句麗と同じく扶余から出ているため、氏を「...
『古典記』によると、高句麗の東明王の三男・温祚は前漢の...
始祖の温祚は体が大きく、天性が孝友で騎射をよくした。
(注)
・聖王・・・百済代26代で、武寧王の子である。在位は52...
・温祚・・・オンゾ。本文では高句麗の始祖王・朱蒙(東明王...
・賀洛国記
(賀洛国は魏志倭人伝では「狗邪韓国」、のちに魏志韓伝の...
後漢の光武帝の建武18(西暦42)年に、亀旨(クジ・キ...
六個の卵はかえって六人の男の子になった。初めて現れたの...
国を大賀洛または伽耶国と称したが、これは六伽耶の一つで...
(倭国の)完夏国では含達王の夫人が身ごもり、月満ちて卵...
首露王の王妃は「阿踰陀(アユダ)国」の王女で黄玉(コウ...
後漢の霊帝の中平6(189)年、后は死んだ。齢157歳...
十年後の献帝の建安4(199)年、首露王は亡くなった。...
最後の王である10代目の仇衝王は新羅代24代・真興王に...
国が滅んで以来、この地の名は一定していなかったが、31...
(注)
・亀旨・・・クジ・キジ。賀洛にある小山の名で「亀旨峰(ク...
・大賀洛・・・オオカラ。伽耶国と同じ。これから考えると、...
・脱解・・・九州島の完夏国(多婆那国)生まれの脱解は半島...
・阿踰陀(アユダ)国・・・本文の注記に「印度の国」とある...
・金官京・・・金海市域にあった統一新羅の直轄地。金海伽耶...
(『三国遺事』倭人関連記事・終り)
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三国遺事(さんごくいじ)
『三国遺事』は高麗国(918年~1391年)の高僧・一然(1206~...
一世紀前に出された『三国史記』(金富軾編纂)が儒教的な...
倭人関係では、何と言っても朝鮮半島南部に所在した倭人国...
これあるがために、『三国遺事』は倭人研究において千金の...
『三国遺事』は5巻に纏められているが、倭人に関係するのは...
ここでは、遺事のすべてにわたって述べるのが筋ではなく、...
<巻第一>
紀異 第一
・古朝鮮(神話)
桓因(帝釈天)の庶子である桓雄は太白山の頂上に降り、太...
周の武王(BC1020頃)の時代に、先の王朝・殷の宗族...
(注)
・箕子朝鮮・・・殷の紂王の暴虐をいさめようとしたのが箕子...
主従や一族は南下して馬韓(のちの百済)に救いを求めて土...
・阿斯達・・・アシタ。注記によればアシタとは朝鮮語で「小...
・衛満朝鮮
燕王の盧綰(ロエン)は、漢にそむいて匈奴側に付いたが、...
ところが漢の武帝のとき、衛満の孫の右渠が討たれて衛氏朝...
(注)
・箕子王・準の亡命・・・箕子の40数代の後裔が準王である(...
ワイ(さんずいに歳)はその音価から「倭人の近縁」と考え...
・馬韓
『魏志』にいうには、衛満が朝鮮を撃つと、王・準は左右の...
(注)
・国を開き、馬韓と・・・これは誤りで、馬韓はすでに存在し...
・楽浪国
『新唐書』注には、平壌城は昔の楽浪郡であるといっている。
新羅の人もまた、(みずからを)楽浪と呼んでいた。
(注)
・平壌城・・・今の平壌と同じ北朝鮮の城市。ここが昔の楽浪...
・楽浪郡・・・衛氏が滅びたあと(前108年)に漢王朝・武...
・五伽耶
阿羅伽耶(今の咸安)・古寧伽耶(今の咸寧)・大伽耶(今...
(注)
・五伽耶・・・すべて洛東江の流域に展開する国家群である。...
・高句麗
高句麗はすなわち卒本扶余である。『三国史記』には始祖の...
金蛙には7人の子がおり、中でも朱蒙は飛びぬけて優れていた...
(注)
・解夫婁・・・カイブルと書いてケブル。「カイ→ケ」の転訛は...
魏志扶余伝によれば扶余の王家の倉庫には「ワイ(さんずい...
この四散してしまうワイ族は、どうしても「ワ(倭)族」に...
・卞韓 百済(南扶余)
新羅の始祖・赫居世即位19年(BC39年)に卞韓(弁韓=カ...
『三国史記』「百済本紀」を見ると、(始祖の)温祚が起こ...
(注)
・卞韓・・・カラハンは朝鮮語読み。ベンカン(弁韓)のこと...
そもそも項立てでカラハンつまり弁韓と百済を一緒に扱って...
三国史記では新羅・百済の建国を漢代に求めているが、いわ...
・辰韓
『後漢書』に、「辰韓の耆老(キロウ=年とって高徳の者)...
(注)
・秦の人・・・後漢書が参照した「魏志韓伝」のこの部分では...
同じ魏志韓伝には「辰韓は、古の辰国なり」とあり、「古の...
・新羅始祖 赫居世王
(辰韓の)六部(六つの村)の祖先たちは、みな天から降り...
六部の祖先たちは、「われわれの上に君主と呼ばれるものが...
その時に日と月がことさら清明であったので「赫居世」すなわ...
国号は徐羅伐(ソラボル)または徐伐(ソボル)といい、あ...
(注)
・紫の卵・・・新羅の始祖伝説には必ず「卵」が登場する。こ...
・徐羅伐・・・ソラボル。ソラは「曽羅」で「羅」は「奴(ナ...
・第四 脱解王
第2代・南解王のとき、賀洛国の海岸に船が漂着し、中には...
「私はもと竜城国の者で・・・父は含達婆、母は積女国の王...
脱解は瓠公の家を、知略でもって我が物とし、そこに住んだ。
脱解は第2代南解王の長女を妻とし、第3代弩礼王のあとを...
(注)
・賀洛国・・・カラ国、金官伽耶国、魏志倭人伝では「狗邪韓...
・竜城国・・・本文の注記によると、正明国・晥夏国ともいい...
私見では、「タバナ国」のほうが倭語を正確に捉えていると...
脱解が即位した光武帝中元2(57)年といえば、「倭の奴...
・瓠公・・・ホコウ。『三国史記』新羅本紀の始祖王・赫居世...
・延烏郎 細烏女
第8代・阿達羅王の4年(157)のある日、東海のほとり...
夫婦は日本で王と王妃になったが、新羅では太陽と月の光が...
祭天した所を「迎日県」また「都祈野」と名付けた。
(注)
・延烏郎・細烏女・・・「烏」は人名によく使われる、と注記...
日本書紀の「垂仁紀」二年条の分注には「オオカラ国から来...
また、同紀三年条ではまさに新羅から渡来した王子アメノヒ...
いずれにしてもかなり早い時期に、すでに半島南部とは交流...
<巻第二>
紀異 第二
・南扶余 前百済 北扶余
百済の世系は高句麗と同じく扶余から出ているため、氏を「...
『古典記』によると、高句麗の東明王の三男・温祚は前漢の...
始祖の温祚は体が大きく、天性が孝友で騎射をよくした。
(注)
・聖王・・・百済代26代で、武寧王の子である。在位は52...
・温祚・・・オンゾ。本文では高句麗の始祖王・朱蒙(東明王...
・賀洛国記
(賀洛国は魏志倭人伝では「狗邪韓国」、のちに魏志韓伝の...
後漢の光武帝の建武18(西暦42)年に、亀旨(クジ・キ...
六個の卵はかえって六人の男の子になった。初めて現れたの...
国を大賀洛または伽耶国と称したが、これは六伽耶の一つで...
(倭国の)完夏国では含達王の夫人が身ごもり、月満ちて卵...
首露王の王妃は「阿踰陀(アユダ)国」の王女で黄玉(コウ...
後漢の霊帝の中平6(189)年、后は死んだ。齢157歳...
十年後の献帝の建安4(199)年、首露王は亡くなった。...
最後の王である10代目の仇衝王は新羅代24代・真興王に...
国が滅んで以来、この地の名は一定していなかったが、31...
(注)
・亀旨・・・クジ・キジ。賀洛にある小山の名で「亀旨峰(ク...
・大賀洛・・・オオカラ。伽耶国と同じ。これから考えると、...
・脱解・・・九州島の完夏国(多婆那国)生まれの脱解は半島...
・阿踰陀(アユダ)国・・・本文の注記に「印度の国」とある...
・金官京・・・金海市域にあった統一新羅の直轄地。金海伽耶...
(『三国遺事』倭人関連記事・終り)
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