小笠原家(小倉藩)
をテンプレートにして作成
開始行:
[[江戸大名公家]]
小笠原家 小倉藩 三階菱 15万石
豊前企救郡小倉(福岡県北九州市) 譜代 城主
正保城絵図・小倉城
移封加減増履歴・慶長6年→信濃飯田5万石・慶長18年→信濃...
専売品&専売開始年・櫨蝋(天保初年、長州藩産物方と提携) ...
江戸城詰席・帝鑑之間 伯爵
上屋敷・神田橋之内、辰ノ口南角
人口・城下町家8931人、家数2357軒
慶応2年(1866)現在
藩祖・秀政(ひでまさ)
小笠原貞慶の長男(父長時は信濃守護、深志城主)
母は日野輝資の養女(高畠長成の娘、高畠氏は管領細川氏の家...
生没・永禄12年(1569)~元和元年(1615)
天正11年(1583)家康の人質となり石川数正に預けられるも、...
慶長6年(1601)家康の元に戻り家康の長男信康の娘を娶り、...
元和元年(1615)大坂夏の陣に長男忠脩・次男忠真と出陣する...
従五位下兵部大輔
正室・徳川家康の養女(岡崎信康の娘登久姫)
子女・女子→徳川家康の養女→阿波藩蜂須賀至鎮室 忠脩(病没...
2代忠真 女子→将軍秀忠の養女→熊本藩細川忠利室 忠知(別...
重直(杵築藩松平重忠養子)
2代・忠真(ただざね)
秀政次男 母は正室岡崎信康の娘
生没・文禄5年(1596)~寛文7年(1667)
家督・元和元年(1615)相続
従四位下侍従兼右近将監
正室・家康の養女(岡崎藩本多忠政の娘、兄忠脩の寡婦)
子女・長安(廃嫡) 長宣(早世)
女子→福岡藩黒田光之室
女子→守山藩松平頼元室 3代忠雄
真方(別家小倉新田藩藩祖)
養女(長安の娘)→伊予松山藩松平定長室
養女(兄忠脩の娘)→阿波藩蜂須賀忠英室
3代・忠雄(ただたか)
忠真三男 母は那須氏
生没・正保4年(1647)~享保10年(1725)
家督・寛文7年(1667)相続
享保3年(1718)小笠原流の武家故実の家伝書を将軍吉宗へ献...
従四位下侍従兼右近将監
正室・広島藩浅野光晟の娘
子女・女子→津藩藤堂高睦室
養女(守山藩松平頼元の娘)→福井藩松平宗昌室 女子→小倉新...
4代忠基 女子→淀藩稲葉正知室
貞通(小倉新田藩小笠原真方養子)
4代・忠基(ただもと)
忠雄長男 母は正室浅野光晟の娘
生没・天和2年(1682)~宝暦2年(1752)
家督・享保10年(1725)相続
従四位下侍従兼右近将監
正室・広島藩浅野綱長の娘
子女・忠貞(病没) 長逵(安志藩小笠原長興養子) 女子→川...
養女(忠貞の娘)→唐津藩小笠原長恭室
5代・忠総(ただふさ)
忠基六男 母は木村氏
生没・享保12年(1727)~寛政2年(1790)
家督・宝暦2年(1752)相続
犬甘知寛(いぬかいともひろ)を家老に登用し、財政改革に努...
従四位下侍従兼兵部大輔
正室・広島藩浅野吉長の養女
子女・養子忠苗(6代) 女子→忠苗養女
6代・忠苗(ただみつ)
安志藩小笠原長逵の三男 母は粟津氏
生没・延享3年(1746)~文化5年(1808)
家督・寛政3年(1791)相続
前代に引き続き犬甘知寛を起用するも、百姓の逃散が続出し、...
従四位下侍従兼右近将監
文化元年(1804)隠居
正室・土佐藩山内豊敷の娘
子女・養子忠固(7代)
養女(忠総の娘)→忠固室
7代・忠固(ただかた)
安志藩小笠原長為の次男 母は田中氏
生没・明和7年(1770)~天保14年(1843)
家督・文化元年(1804)相続
文化6年(1809)朝鮮通信使の応接正使となり、応接終了後に...
文化11年(1814)昇格運動に反対する儒者上原与一・家老以...
文化12年(1815)白黒騒動により藩主忠固は100日間の蟄...
従四位下少将兼伊予守
正室・忠苗の養女
子女・女子→佐倉藩堀田正愛室、後に尼崎藩松平忠栄室 8代忠...
8代・忠徴(ただあきら)
忠固次男 母は神田氏
生没・文化5年(1808)~安政3年(1856)
家督・天保14年(1843)相続
殖産興業に尽力し、嘉永7年(1854)種痘開始
従四位下侍従兼左京大夫
正室・加賀藩前田斉広の娘
子女・養子忠嘉(9代) 女子→忠固養女
9代・忠嘉(ただひろ)
小倉新田藩小笠原貞哲の四男 母は新井氏
生没・天保10年(1839)~万延元年(1860)
家督・安政3年(1856)小倉新田藩主となるも、本家を相続、...
従四位下右近将監
正室・なし
子女・養子忠幹(10代)
10代・忠幹(ただよし)
安志藩小笠原長武の次男 母は某氏
生没・文政10年(1827)~慶応元年(1865)
家督・万延元年(1860)安志藩主となるも、本家を相続する、...
従四位下大膳大夫
正室・7代忠固の養女(8代忠徴の娘)
子女・貞孚(安志藩12代)
女子→尼崎藩松平忠興室 11代忠忱
女子→清水家徳川篤守室
○10代卒去から11代相続の間
慶応2年(1866)6月、第二次長州征討始まる
同年8月、長州軍に攻められ、藩は小倉城を自ら焼き放つ
同年10月、藩庁を田川郡香春(かわら)に移す
慶応3年11月、長州藩に小倉を譲渡して上毛郡豊津へ移る
11代・忠忱(ただのぶ)
忠幹長男 母は上田氏
生没・文久2年(1862)~明治30年(1897)
家督・慶応3年(1867)相続
戊辰戦争では奥羽へ出兵し明治2年(1869)賞典禄5000石...
明治2年香春藩知事
従三位
正室・米沢藩上杉斉憲の娘
終了行:
[[江戸大名公家]]
小笠原家 小倉藩 三階菱 15万石
豊前企救郡小倉(福岡県北九州市) 譜代 城主
正保城絵図・小倉城
移封加減増履歴・慶長6年→信濃飯田5万石・慶長18年→信濃...
専売品&専売開始年・櫨蝋(天保初年、長州藩産物方と提携) ...
江戸城詰席・帝鑑之間 伯爵
上屋敷・神田橋之内、辰ノ口南角
人口・城下町家8931人、家数2357軒
慶応2年(1866)現在
藩祖・秀政(ひでまさ)
小笠原貞慶の長男(父長時は信濃守護、深志城主)
母は日野輝資の養女(高畠長成の娘、高畠氏は管領細川氏の家...
生没・永禄12年(1569)~元和元年(1615)
天正11年(1583)家康の人質となり石川数正に預けられるも、...
慶長6年(1601)家康の元に戻り家康の長男信康の娘を娶り、...
元和元年(1615)大坂夏の陣に長男忠脩・次男忠真と出陣する...
従五位下兵部大輔
正室・徳川家康の養女(岡崎信康の娘登久姫)
子女・女子→徳川家康の養女→阿波藩蜂須賀至鎮室 忠脩(病没...
2代忠真 女子→将軍秀忠の養女→熊本藩細川忠利室 忠知(別...
重直(杵築藩松平重忠養子)
2代・忠真(ただざね)
秀政次男 母は正室岡崎信康の娘
生没・文禄5年(1596)~寛文7年(1667)
家督・元和元年(1615)相続
従四位下侍従兼右近将監
正室・家康の養女(岡崎藩本多忠政の娘、兄忠脩の寡婦)
子女・長安(廃嫡) 長宣(早世)
女子→福岡藩黒田光之室
女子→守山藩松平頼元室 3代忠雄
真方(別家小倉新田藩藩祖)
養女(長安の娘)→伊予松山藩松平定長室
養女(兄忠脩の娘)→阿波藩蜂須賀忠英室
3代・忠雄(ただたか)
忠真三男 母は那須氏
生没・正保4年(1647)~享保10年(1725)
家督・寛文7年(1667)相続
享保3年(1718)小笠原流の武家故実の家伝書を将軍吉宗へ献...
従四位下侍従兼右近将監
正室・広島藩浅野光晟の娘
子女・女子→津藩藤堂高睦室
養女(守山藩松平頼元の娘)→福井藩松平宗昌室 女子→小倉新...
4代忠基 女子→淀藩稲葉正知室
貞通(小倉新田藩小笠原真方養子)
4代・忠基(ただもと)
忠雄長男 母は正室浅野光晟の娘
生没・天和2年(1682)~宝暦2年(1752)
家督・享保10年(1725)相続
従四位下侍従兼右近将監
正室・広島藩浅野綱長の娘
子女・忠貞(病没) 長逵(安志藩小笠原長興養子) 女子→川...
養女(忠貞の娘)→唐津藩小笠原長恭室
5代・忠総(ただふさ)
忠基六男 母は木村氏
生没・享保12年(1727)~寛政2年(1790)
家督・宝暦2年(1752)相続
犬甘知寛(いぬかいともひろ)を家老に登用し、財政改革に努...
従四位下侍従兼兵部大輔
正室・広島藩浅野吉長の養女
子女・養子忠苗(6代) 女子→忠苗養女
6代・忠苗(ただみつ)
安志藩小笠原長逵の三男 母は粟津氏
生没・延享3年(1746)~文化5年(1808)
家督・寛政3年(1791)相続
前代に引き続き犬甘知寛を起用するも、百姓の逃散が続出し、...
従四位下侍従兼右近将監
文化元年(1804)隠居
正室・土佐藩山内豊敷の娘
子女・養子忠固(7代)
養女(忠総の娘)→忠固室
7代・忠固(ただかた)
安志藩小笠原長為の次男 母は田中氏
生没・明和7年(1770)~天保14年(1843)
家督・文化元年(1804)相続
文化6年(1809)朝鮮通信使の応接正使となり、応接終了後に...
文化11年(1814)昇格運動に反対する儒者上原与一・家老以...
文化12年(1815)白黒騒動により藩主忠固は100日間の蟄...
従四位下少将兼伊予守
正室・忠苗の養女
子女・女子→佐倉藩堀田正愛室、後に尼崎藩松平忠栄室 8代忠...
8代・忠徴(ただあきら)
忠固次男 母は神田氏
生没・文化5年(1808)~安政3年(1856)
家督・天保14年(1843)相続
殖産興業に尽力し、嘉永7年(1854)種痘開始
従四位下侍従兼左京大夫
正室・加賀藩前田斉広の娘
子女・養子忠嘉(9代) 女子→忠固養女
9代・忠嘉(ただひろ)
小倉新田藩小笠原貞哲の四男 母は新井氏
生没・天保10年(1839)~万延元年(1860)
家督・安政3年(1856)小倉新田藩主となるも、本家を相続、...
従四位下右近将監
正室・なし
子女・養子忠幹(10代)
10代・忠幹(ただよし)
安志藩小笠原長武の次男 母は某氏
生没・文政10年(1827)~慶応元年(1865)
家督・万延元年(1860)安志藩主となるも、本家を相続する、...
従四位下大膳大夫
正室・7代忠固の養女(8代忠徴の娘)
子女・貞孚(安志藩12代)
女子→尼崎藩松平忠興室 11代忠忱
女子→清水家徳川篤守室
○10代卒去から11代相続の間
慶応2年(1866)6月、第二次長州征討始まる
同年8月、長州軍に攻められ、藩は小倉城を自ら焼き放つ
同年10月、藩庁を田川郡香春(かわら)に移す
慶応3年11月、長州藩に小倉を譲渡して上毛郡豊津へ移る
11代・忠忱(ただのぶ)
忠幹長男 母は上田氏
生没・文久2年(1862)~明治30年(1897)
家督・慶応3年(1867)相続
戊辰戦争では奥羽へ出兵し明治2年(1869)賞典禄5000石...
明治2年香春藩知事
従三位
正室・米沢藩上杉斉憲の娘
ページ名: