初代天皇なのに、教科書に登場するのは「神武景気」だけ。この程度の知識で、ホントに良いのだろうか? 2/9(日) 7:01配信 現在126代を数える歴代天皇の「初代」といえば、神武天皇である。日本人にとって「常識」と言っていいだろう。しかし、その実像は伝説に包まれている。生没年はもちろん実在したか否かも定かでない、この日本史上の「重要人物」を、歴史学の対象としてどう扱えばいいのだろうか。この「意外な難問」に取り組んだのが、『神武天皇の歴史学』(外池昇著、講談社選書メチエ)だ。 【写真】神武天皇陵の謎 生没年不明、実在も未確認の〈重要人物〉 『日本書紀』によれば、日向に生まれ、大和に東征して天皇として自ら即位した神武天皇。なんといっても、これが「日本の始まり」ということになっているわけだが、こうした事績を社会科の授業で学んだのは、戦前の教育を受けた人だけだろう。 では、現在の歴史教科書に神武天皇はどのように書かれているのだろうか。『神武天皇の歴史学』の著者・外池昇氏が、現在の高校で使用されている教科書『詳説日本史』(山川出版社、2023年3月発行)を調べている。 外池氏によれば、この教科書で「神武天皇」の記述があるのは4ヵ所。 1つ目は、『古事記』についての記述の「注」に出てくる。そこには「神話・伝承は、神々の出現や国生みをはじめとして、天孫降臨、神武天皇の「東征」、日本武尊(やまとたけるのみこと)の地方制圧などの物語からなる」と説明している。 2つ目は、これも本文ではなく、幕末・維新期の史料として掲載されている「王政復古の大号令」。その文中に「諸事神武創業ノ始メニ原(もと)ツキ」とある。 3つ目は、明治時代の祝祭日の制定についてだが、これも「注」だ。「『日本書紀』が伝える神武天皇即位の日(正月朔日)を太陽暦に換算して紀元節(2月11日)とし」とある。 そして4つ目は昭和戦後で、ようやく本文で1955〜57年(昭和30〜32)の「神武景気」と呼ばれる大型景気を取り上げ、その「注」に「神武天皇の治世以来の好景気ということで、名づけられた」とある。 〈つまり、神武天皇が高等学校の日本史の教科書に取り上げられる機会は時代も場面もばらばらで、しかも取り上げているとはいっても、4ヵ所のうち2ヵ所は「注」、1ヵ所は史料の中の文言であり、本文として取り上げられているのはただ1ヵ所、昭和戦後期の「神武景気」しかない。〉 (『神武天皇の歴史学』p.18) 〈少なくとも神武天皇についての記述に関する限り、日本史の学習に熱心な高校生が心をこめてこの教科書を読んだとしても、その高校生が神武天皇のことがよくわかるようになるとは全く思われない。それとも、神武天皇についての系統立った知識はなくても、あるいはない方が良いということなのであろうか。〉(同書p.18) たしかに神武天皇は、生没年どころか実在したかどうかも確認できない「伝説上の人物」にすぎない。しかし、その存在は現代の日本社会にも大きな影響を与えている。 たとえば2016年4月3日には、神武天皇二千六百年式年祭――すなわち神武天皇の没後ちょうど2600年の命日の祭礼が行われ、当時の天皇・皇后(現上皇・上皇后)が秋篠宮らを伴って奈良・橿原市の神武天皇陵を参拝している。歴代天皇の「式年祭」はたびたび行われるが、現在の天皇制は、こうした「伝説」の上に成り立っていることがわかる。 またそれ以上に、先に見た「王政復古の大号令」にある通り、明治新政府は「建武の新政」の後醍醐天皇でも「大化の改新」の天智天皇でもなく、「神武創業の始」を中心的な理念として掲げていた。 さらに、1872年(明治5)の「徴兵告諭」や1882年(明治15)の「軍人勅諭」でも、神武天皇は日本の軍隊の創設者と位置付けられている。近代国家・日本の基本理念の中に、神武天皇はしっかりと組み込まれてきたのだ。 「古代の天皇」は、近代史のテーマである 本書の著者で成城大学文芸学部教授の外池昇氏は、長年にわたって「天皇陵」と皇族の陵墓を研究してきた。といっても、古墳の発掘調査をする考古学者ではない。近世・近代史の視点から、古代天皇は日本人にとってどんな存在だったのかを研究・考察してきたのだ。 戦前の「皇国史観」を否定することから始まった戦後の歴史学では、神武天皇をはじめとする「神話時代の人物」は、研究の対象外だった。しかし外池氏は、古代史ではなく、近世・近代史のテーマとして、これらをとらえ直したのである。 〈もちろん私とても神武天皇をいわゆる歴史上の人物と同列において考えているのではない。というのは、戦後長足の進歩を遂げた考古学の成果の結果、原始・古代史の実相が明らかとなり、また同時に、『古事記』『日本書紀』の実証的な研究も展開し、神武天皇についての部分等はそのままいわゆる歴史的事実の反映とみなすのではなく、神話・説話等として理解するのが今日の定説である。その点からすれば、確かに神武天皇は非実在の人物に違いない。〉(『神武天皇の歴史学』p.10-11) しかしそれでもなお、神武天皇をめぐるさまざまな動向には、歴史学として注目すべき価値があるものが数多く含まれている、という。なかでも本書で、特に大きく取り上げるのが、神武天皇の墓地をめぐる謎だ。 〈歴史上の人物として実在が確認できないにもかかわらず、その墓とされるものは確かに存在するのが神武天皇である。しかし、その墓とされる神武天皇陵は、古くから明らかなものとして確定していたのではない。その所在地については古くから諸説があった。すなわち、元禄の修陵で江戸幕府が認めた「塚山」、その付近にあって古くから伝承があり朝廷が関心を示していたと思われる「神武田」、さらに本居宣長・蒲生君平らが唱えた「加志」(あるいは「御陵山」ともいう)の三ヵ所である。〉(同書p.30) しかし、こうした神武天皇をめぐる論争が、江戸時代以前に大きく問題化された形跡はない。攘夷の気運や幕末動乱の中で、クローズアップされてきたのである。そして、なんとか決着をみるのだが、明治になっても疑念はくすぶり続けたのだった。 また本書では、神武天皇陵に隣接して創建された橿原神宮と、そこに深く関与した奥野陣七という民間勤王家の波乱の生涯、最後の文人画家と言われる富岡鉄斎が「御陵図」にこめた思い、神武天皇陵に冷徹な視線を向けたお雇い外国人など、歴史に埋もれた人々や意外なトピックにも目を向けている。 日本人にとって、神武天皇とは何か――それは、古代史のみならず、近現代の日本社会をも映し出す歴史学の重要テーマなのである。 2025-03-13 (木) 21:55:27
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